昨日は感情解放ワークショップでした。
ご参加くださった方、
ありがとうございました。
今回は、普段一人でワークしているときに
どう掘り下げをして行ったらいいのか
わからない、というお声を受けて、
場面展開の仕方やコツなど、
ホワイトボードに書き出して
解説していきました。
感情を受け止めると言っても、
できるだけ詳細な質感が捉えられた方が
解放もぐっと深くなりますからね。
それを浮き彫りにするために、
敢えて場面の詳細を明らかにする問いかけを
私はよくやります。
けれど、掘り下げられている側からすると、
なぜそこまで細部にこだわるのか、
その最中は今一つわからずに答えている
というのが正直なところでしょう。
最終的に、「核心の感情」にたどり着いて、
それを統合したときに、それまでの
不調和が一気に消えるのを目の当たりにして、
あぁなるほど、となるまでは、受け身でいては
なかなか流れは見えてきません。
たとえば、インナーチャイルドの一つの
場面を掘り下げていくとき、
自分と両親との漠然とした関係性を
見るのではなく、ある特定の具体的な場面を
まず決めます。
親が自分を理解してくれなかったという
淋しさを持っている場合、最初にその淋しさを
心と体で受け止め、飲み込んだ言葉を
吐き出します。
そして今度は親の視点に意識を移動して、
なぜ子供にそんな思いをさせたのか、
その事情を掘り下げていきます。
家庭によって、色々あるでしょうけれど、
夫婦間の問題だったり、義父母との関係、
経済的な問題などなど、親御さんにも
抱えきれないものがあったことでしょう。
そういう周辺環境を詳細に明らかにした上で、
親御さんが抱えていた重荷を統合してあげます。
そうすると、一杯一杯だった親御さんが
子供に接する態度がぐっと温かなものに
なったりするんですね。
そうすると、子供の自分の心情がとても
穏やかに癒えていく。
あれほど根深く残っていた淋しさや孤独感が
安心と信頼に代わっていくんですね。
ここまでやらないと、根っこは残ってしまいます。
だから、自分だけの感情を受け止めるだけでは、
なかなか根本的に転換していくことは
難しいのです。
けれど、こうした掘り下げができない場合は、
自分だけでもやらないよりはいいですし、
やっていく内に気づきが起こる可能性も
あるので、
せめて最初の入り口として、
自分の気持ちを在るがままに受け止める
段階をお勧めすることも良くあります。
ただし、あくまで入り口は入り口なので、
ワークをやっていくなら、そこから自分なりに
「核心の感情」を探り当てる嗅覚は磨いていく
必要はあるだろうと思います。
また、掘り下げをしているときに
しばしばみなさんが困惑してしまうのは、
とにかくあちこちに場面が展開していく
ということだろうと思います。
なぜそう展開させるのか、
その「展開の必然性」が見えていない
のでしょう。
たとえば、インナーチャイルドをやっている
途中で、過去世に展開していくことも
珍しくはありません。
なぜそんな風に飛ぶのかというと、
「同じ質の感情を軸にして辿っているから」です。
感情は時空間を越えてつながっているので、
この軸さえ押さえていれば、「必然の流れ」が
見えてくるはずです。
逆に、この軸をしっかり自覚していないと、
なぜ今生の人間関係を掘り下げていて
こんな時代の出来事に飛んでいるのか、
わからないのも道理です。
こう考えて見ると、
私たちは通常、出来事を体験するときに、
「時空間の軸」を元に体験しているのだ
ということを改めて感じますね。
いつどこで、自分がどういう立場で
どのように経験したのか、
という軸が基準なので、それとは違う
基準軸によってものごとを捉えることに
慣れていないわけです。
これまで、この掘り下げについて
みなさんにうまく伝えることが難しいと
感じていた要因が、一つわかった気がしました。
私自身がどうしてこういう時空間を
越えた軸を違和感なく見ているか
というと、
多分、自分を含む、たくさんの過去世を
見てきているからかな、と思います。
今生はとても裕福で有能な方でも、
別の人生では極貧と惨めさの極みを
生きた人生があったり、
いかにも冴えない様子の方が、
実は目の覚めるような美人だった
人生があったり、
誠実さと純粋さをモットーとして
生きている方が、過去世では
欺瞞と裏切りを繰り返していたり。
今目の前にあるその姿だけが
その人じゃない、という視点が
いつもあるんですね。
だから、今ここに湧き上がっている感情を
見る時も、繰り返し何度もそれが浮上
していた時空間の広がりを感じながら、
その気配を辿りつつ働きかけているのです。
だからそもそも、相手の意識に入るとか、
過去に移動するとかも特別なことではなく、
そこにハードルがないわけです。
それが特別なことで、「自分とは別のもの」
に捉えられてしまう方にとっては、
こういう見方は慣れるまでがちょっと
大変なのかな、とやっと気づきました。
いやはや、結構、かなり、遅かったですね。(^^;
これからは、もう少しその辺りも
気にしながら解説していくことにします。