思考と感情を識別することは、
抑圧された感情を解放するうえでも
非常に重要ですが、
日常を豊かに生きる上でも、
とても大事なことだと思います。
サロンに見える方を拝見していても、
一生懸命自身が本当に願っている人生を
生きていきたい!と頑張っているのに、
そもそもその「本当の願い」に
繋がれておらず、
一生懸命それを「考えて」探している方を
よく見かけます。
でも、それって考えて見つけられるもの
ではないんですね。
導きは、感情を感じるのと同じ感覚を使って、
受け取られるものですが、
普段から「感情や感覚を感じる」替わりに
「思考で考えている」人は、
導きもまた思考で考えてわかるものだと
信じていたりします。
でも、それは思考ではわからないのです。
けれどもそういう方は、
自分が感じないで考えているのだ
ということにはほぼ気づいていません。
気づかないままに、
思考でグルグル、永遠にたどり着けない答えを
探して右往左往しているのです。
感じないで考えている人は私から見ると、
どこか鼻をつまんで臭いを嗅ごうとしている人に
似ています。
大切な感覚器官にペタッと蓋がされていて、
機能していない感じがありありとするのです。
そして、感覚がどうしても取れないので、
それを補おうとして思考が常に目まぐるしく
駆け回っています。
故に、自身の中心深いところの静寂から
やってくるものに、心を澄ますことが
できません。
そうしてますますわからなくなって
わからないのでまた思考を働かせる
というスパイラルにはまっていくのです。
こういうことを、もう長いこと
続けてきているんですね。
いくら頑張っても、思考は
感情や感覚の代用にはなりません。
本当に自分の人生を生き生きと
幸せに生きていきたいのなら、
感じる機能を取り戻さなくてはなりません。
それなくして、どうして自分が今
幸せなのだと感じることができるでしょうか。
ではなぜ、その人は感じる機能を
閉ざしているのか?ということです。
決して故なくそうしているわけでは
ないはずです。
そうせざるを得ない事情があったからこそ、
自分にとってとても大切な感覚を
自ら閉ざしたわけですね。
ものすごく端折って言ってしまえば、
「感じたくなかった」ということなのでしょう。
再び感覚を取り戻していくときには、
この「そうせざるを得なかった事情」
という部分をしっかりケアしてあげることが
非常に重要なポイントになります。
そうでないと、「感じたくなかった」ものを
感覚を開いた途端に再び感じるように
なってしまいます。
だから、これを感じても大丈夫な自分
を整えてあげる必要があるのです。
これは、不快なものに対して耐えられる状態
になっているというよりは、
かつて不快に感じたものが、
まるで問題なくなっている状態
と理解していただくと良いかと思います。
感情解放ワークで言えば、
わだかまっていた感情のエネルギーが
統合されて、もう悪さをしないように
なっている状態を指します。
別に受け止められないわけでもないし、
受け止めてもまったく問題ない!
って感じです。
辛かった記憶も、心から笑って話せるし、
相手や出来事自体にも深く感謝の念が溢れてくる
というところまで来たら統合は完了です。
その出来事からの学びを完全にクリアし、
闇と思えたところから、あなたが本当に
愛と光を見出したわけです。
そのとき、あなたはとても大きな変容の
プロセスを通過したのです。
どんな分野でもそうですが、
成長するには、できることばっかりやってては
成長はありません。
だから、敢えて「無理!」と思えるような状況を
自分で設定してチャレンジしているんですよね。
このチャレンジにおいても、
感じる感覚を取り戻していくことは
重要なファクターになるでしょう。
人によっては、
感じることって恐怖だったりしますよね。
たとえば、怒りを本当に感じてしまったら、
自分が何をしでかすかわからない、
と自身の中の莫大なエネルギーに
恐れを抱いている方も少なくありません。
でも、あなたの中に既にそれがあるということは、
あなたがそれをマスターする可能性がある
ということも示していないでしょうか?
今はただ抑圧するばかりですが、
あの莫大なエネルギーを押さえつけられるくらいの
力があるわけですから、
その力の使い方をもう少しうまくもっていくだけ
と考えたら、少しはイメージが違ってくるかな?
自分自身のエネルギーをもっと効率的に、
そしてもっと生産的なところに振り向けて
行くわけです。
様々なことに対してできない、と思っていたのは、
ひょっとしたら、生産的にエネルギーを使えなかった
からかもしれません。
あなたも、自身の感情や感覚を取り戻していく
タイミングに来ていると感じるのなら、
そろそろ取り組みを始めていきましょう。
あなたの歩みに、
最高最善の導きがありますように。