今日はいつもとはちょっと違って、
人から受けるエネルギーの諸々について
思うところを書いてみます。
私たちはこの世に生を受けたのなら、
誰しも多かれ少なかれ、必ず人と
様々なかかわりを持ちます。
それがたくさんの人もいれば、
極端に少ない人もいますけれど、
触れ合えば自分にも相手にも、
何らかの影響がもたらされます。
親子やパートナー、仲の良い友達のように
濃密な関係を築くこともあれば、
本を読んだとか、動画を見たとか、
間接的に知られることもあれば、
街でちょっとすれ違っただけ、
話をしたこともない何て程度の関係でも
エネルギーの影響を受けることはある
のですね。
人の思念の影響というのは
なかなか馬鹿にできなくて、
思念エネルギーは時間と空間を超えるので、
例え地球の裏側にいても
対象を捉えられれば、届いてしまうのです。
だから離れたところにいる人や、
過去や未来にエネルギーを送って
遠隔ヒーリングが可能になるわけですが、
私たちの多くは結構無自覚に思念エネルギーを
あちこちに飛ばしまくっています。
中には意識的に思念を飛ばしている人も
いるでしょう。
いずれにせよ、飛ばしているものが
愛や思いやり、励ましなどの
ポジティブなものだったら良いのですが、
ネガティブなものだったりすると、
受け取った側は結構大変です。
そういうのを意識的に飛ばすのが、
いわゆる「呪い」というやつですね。
おや、なんだか話題がだんだん怪しい方向に
向かってきたぞ。。。
呪いって、正式な修法にのっとってやるもの
だけが効くわけじゃなくて、
感情的な強い恨みや憎しみ、嫉妬などを抱く
だけでも結構飛んでいくわけです。
もちろん、プロっぽいことをすれば
さらに鋭くガツン!ときますけれどね。
こういう仕事を8年半もやっていると、
たまにそういうサイキックアタックを
受けたことも、実は何度かあります。
ほとんどが会ったこともない全く面識のない方
だったりしたのですが、結構心身ともに
ずん!っとくるんですよね。
なんかおかしいな~と思ってチェックしてみると
やっぱり来てた~!って感じで。
私の場合は、生死にかかわるほどのものを
受けたことはいままでないので、
気づいた場合は、取り敢えず
呪い返しではなく、来ている思念は外してから
自分自身の内面の浄化ワークをします。
なぜ自身の浄化をするかと言うと、
そういうものが飛んでくるということは、
自分の中にそれを引き寄せる要因がある
ということを意味しているからです。
つまり、相手と同じことをやってる自分が
どこかにいるんですね。
自身の痛みを責任転嫁し、憎しみや恨み、
嫉妬として相手に投げつけているような自分
の要素があるわけです。
サイキックアタックは、自身の中の
そういう要素をフックにして引っ掛かってきます。
だから、基本、払っただけではダメで、
自分の中にあるフックの除去作業をしない限り、
もっと大きいのがやってきてしまいます。
故に、自分にそういうものが飛んでくるという
出来事に直面するたび、私は自身の
未熟さを深く顧みる機会にしているのです。
私は今生ではそう言うことはやってませんが、
過去世でも結構スピ系の人生があったようで、
白もあれば黒もガッツリやってます。
で、黒い方も見ていくと、やっぱり自分も
念を飛ばしてきたその人と同じようなことを
しっかりやってるんですね~。
しかもプロですから、まぁ念の入ったやり方で
ガツンとね。。。(^^;
因果は巡るってことでしょうか。
よく聞かれるのですが、こういうことをする
人は、自分が別の人生でその報いを受けることが
わかってないんでしょうか?って。
多分頭ではわかってるんですよ。
でも、それが本当に実感をもって
理解できていない。
だから恐ろしいことができちゃう。
じゃぁ、そこから足抜けできないのか
と言えば、そんなことはありません。
自分が相手に飛ばした痛みのエネルギーの
責任を、しかと引き受けて昇華させれば
痛みの投げ合いは終了します。
そこにスピリチュアルな契約とかが
入っていても、解除できるんです。
もちろん、プロっぽい作法にのっとったやつ
じゃないものも、基本は同じです。
自分の現実に現れたものには
すべて理由があります。
故なくしてそれは現われてはいません。
全て自分の在り方一つ。
全ての災難も、愛に昇華できるように、
自分を高めていこう。
それが自分がかつてしたことへの
償いでもあり、無数に受けた恩への
恩返しでもある。
飛び交う思念のエネルギーの中で、
そんなことを思いました。