感情解放ワークでは、
今この瞬間の感情をじっと感じ、
受け止めることもとても大切な基本ですが、
「両極をマスターする」っていうのも
とても重要なワークの柱になっています。
今までこういう表現はあまりしてこなかった
のですが、たとえば「被害者」と「加害者」
という側面を取り上げて見ましょう。
悩みをもってサロンに相談に見える方はほぼ
「被害者」として出来事を体験されていますが、
あなたが「被害者」になっているということは、
そこに必ず「加害者」がいて、
「被害」が存在しています。
ワークではこういう場合、
まず「被害者」としての痛みを受け止めます。
その後、「加害者」の側に意識を移動させて
自分に害を加えてくる人の心情を捉えます。
すると、その人の中にも様々な恐れや苦しみが
あり、それを受け止めきれなくてあなたに
何らかの形で押し付けている構図が
見えてきます。
その人が受け止められずに押し付けてきた
その苦しみは、あなた自身が受け止められていない
苦しみと、実は全くイコールなのです。
あなたが受け止めていないように、
相手も同じものを受け止められていない。
とは言え、その人はあなたに押し付ける
という行為をしてきたけれど、
「私はいくら辛くても、こんなことはしないわ」
と思うかもしれません。
けれど、同じことをしてしまう種を
あなたもまた持っているということは
事実なのです。
ワークでは相手の意識の中で、
相手が受け止められずにいる苦しみを
受け止めます。
なぜ相手の苦しみを受け止めるのか
といえば、それはあなたが逃げてきた
苦しみを受け止めていることに他ならない
からです。
あなたがもはや自身の苦しみから
逃げておらず、完全に統合できた状態に
なれたら、相手はもはやあなたに
害を及ぼすことはありません。
その人はあなた自身の「鏡」だからです。
あなたが逃げていないのなら、鏡の映った像も
逃げてはいません。
「鏡」の像は、5分後、来週、1か月後に姿を
変えるのではなく、まさに今この瞬間、
瞬時に変化します。
こうして「被害」はなくなり、
同時に「被害者」と「加害者」も
あなたの現実から消え失せるのです。
これら3つは切り離すことのできない
1つのものであり、コインの裏表とコイン
のような関係です。
あなたがいずれかの「極」に囚われているか、
一方の極を拒絶しているとき、
この出来事を完了さていくことができず、
苦しみを味わうことになります。
だから、被害者を体験しているのなら、
加害者の側面を体験し、双方をクリア
しなければならないのです。
人によっては
「加害者になるくらいだったら
自分が被害者になる!」
という選択をされている方もあります。
先日から話題にしている
「自分の非を認めない」というのも、
ある種「加害者になることへの
強烈な拒絶」と言えるでしょう。
いずれにせよ、
被害者になるということは、
相手を加害者にすることです。
この意味で、被害者になったあなたは、
間接的に加害者でもあるという事実から
免れないのです。
被害者と加害者の側面を完全に統合できると、
被害という出来事自体のない領域に
あなたはシフトします。
あれほど苦しんだ地獄が一瞬にして消え失せ、
同じ出来事の中に深い愛を感じる瞬間は
まさに奇跡と思えるでしょう。
けれど、そうわかっていてもなかなか
受け入れ難いという方も少なくありません。
加害者という側面は、被害者の側面よりも、
ある意味、恐ろしい苦しみをもたらすもの
ということを、どこかで察しているのでしょう。
人に害や痛みを与えていることに
全く無意識でいるのと違って、
意識的に、かつ本当に分かって加害することは
普通はできませんし、できたとしても
相当な苦しみがあることでしょう。
無意識だから、あるいは感覚を閉ざしている
からこそ、できることだろうと思います。
傷つけられた人たちからの恨みや怒り、
悲しみや憎しみの念を受けながら過ごすことは、
他にどんなにメリットがあったとしても、
決して割のいい選択ではありませんからね。
自分の中の加害者の側面を認めると、
こうした諸々を引き受けることになります。
だから、多くの人が容易には認めないわけですね。
今、あなたが被害者として体験している
その苦しみが、加害者としてあなたが
どこかで誰かに与えた苦しみとイコールです。
防御で凝り固まった心では、
このことの本当の意味が分かりません。
多分「怒りが笑いに変わるツボ」と同じように
その人なりに「受け入れられるツボ」が
あるのではないかな、と思います。
固く防御と分離の壁を築くのではなく、
どうぞ自分の中に他者を、
他者の中に自分を見出しながら、
この受容するツボを見つけてみてください。