人間、生きていればやりたくないことも
やらなければいけない、という場面が
あるでしょう。
あぁやだな~と思いつつ、そんな思いを
どうにかこうにかなだめすかして
自分にやらせるように、ねじ込んでいく。
こういうことを続けていると、
段々と生きる気力がなくなっていきます。
ある仕事をするのに、嫌だな~という
気持ちを持て余しながら、やれば
1時間で終わる仕事が気が付いたら
3時間たってもできていないなんてことも
あるかもしれませんね。
色々なケースがあるので一概には
言えませんが、やらなければいけない
と思っているのにそれができないときは、
それはその時やるタイミングではないとか、
そもそも自分がやるべきことではないか、
過去の未完了の感情のチャージが投影
されて見えてしまって辛くなっているか、
あるいは心身が疲れ切っていて物理的に
動けないでいるというケースもあるでしょう。
疲れているときは休養を取ることを何よりも
優先させることが大事だし、タイミングが
違うのなら、別の仕事を先にするなどして
調整してみると、流れが変わることもあります。
感情のチャージが浮上しているのなら、
それをクリアにして改めて向き合ったら
さほど辛さもなく仕事が進むでしょう。
以上のどれをしてもそれでも動けない
ときは、それは自分の仕事ではないのかも
しれません。
やらねばならないという思い込みから
少し離れてみて、本当にそうだろうか?
と今一度振り返ってみることも大切かな
と思います。
私自身、以前の仕事では心身ともに
ボロボロになって5か月の休職を要する
ほどだったのに、倒れるまで仕事を
休むという概念がありませんでした。
その仕事をすることが自分の健康よりも
大事だったのか?と言えば、当時は
そうだったのでしょう。
今思えば、もっと違う選択も
あったのです。
でもそれを選ぶには、その時の自分の
大事にしているものを全部手放さなければ
ならなかった。
それは絶対にできない選択だったんですね。
だから体の方から強制終了がかかった。
そうでもしなければ、方向転換できなかったんです。
人生が硬直してにっちもさっちもいかなく
なっているとき、他の可能性がどうしても
見つからないというときは、
きっと硬直している何かを大きく転換する
必要があるのだと思います。
それは絶対にありえない、と一番最初に
外した選択肢に改めて向き合ってみて、
真っすぐに、誠実にぶち当たってみるのも
いいかと思います。
逃げ腰でいるときはあり得なかったけれど、
本腰を入れて向き合ってみたら、思いのほか
スムーズな流れになるかもしれません。
自分がやるべきことではないから気が重く
やる気が出ないのと、逃げているから
やる気が出ないのとでは、まるで
意味が違います。
今の自分の状態がどちらで在るのかを
識別するには、やる気が出ない自分を
責めるのではなく、在るがままに
やる気の出ない自分の声に耳を
傾けてみることです。
よくそういう自分が出てくると、
こんな自分はダメな奴だ!と頭ごなしに
抑圧するケースがありますが、
それでは歩むべき道は見えてきません。
嫌だと言っている声にじっくりと
耳を傾け、何が辛いのか、本当は
どうしたいのか、深く深くジャッジメント
しないで聞いてあげます。
そういうところから、
今自分が何をすべきなのか、
次はどんな方向に進んだらいいのか、
という導きがやってくるのです。
しばしば私たちは、
その導きであるはずの内なる声が、
自分の思い描いている「理想像」とは
違った方向を示しているとき、
それに抵抗して握りつぶし、無理やり
「理想像」にねじ伏せようとします。
人生でしばしば体験する行き詰りや
停滞は、こうして起こっている
のでしょう。
心が疲れた、体が疲れたなど、
自分の思うように行かないときこそ、
導きとの乖離が起こっています。
そんなときは、心身と魂がぴったり
寄り添って人生を歩めるように、
できるだけ早い段階で軌道修正
しましょう。
無理を重ねて、乖離が大きくなるほどに、
転換も難しくなっていきますからね。
まずは嫌だと言っている素直な声を、
ニュートラルに聞いてあげることから
始めて見ましょう。
あなたの人生に、最高最善の導きと
喜びがもたらされますように。