昨日は特別講座⑪
「忘れられない関係性にケリをつける」
の3回目でした~!(^^)
ご参加くださった方、
ありがとうございました。
今回のテーマ、参加人数は少なかったものの、
内容はその分かなり濃かったように思います。
昨日もみっちり濃厚でした。
基本、私のセッションでは
自分の非を認めたくないとか
誰かのせいにしておきたいとか
無かったことにして自分を守っている
など、そのやり方を
ぜ~んぶひっくり返して
事実を在るがままに受け止め、
自分の非を認め、自身の責任を自分で
引き受けることを通して
ねじれ、歪み、絡み合った諸々を
解いて癒しに導きます。
なので、どれだけ自分自身と真実
に対して誠実になれるかが、
セッションの成否を決めます。
こういうことを続けていくと、
確かに逃げ道はなくなっていきますよね。
今までは、受け止めがたいものは
無かったことにすればよかったし、
誰かのせいにしてそいつが悪いんだ!
とやっていれば済んでいた。
でもそういうことができなくなって
いくわけです。
逃げ道がないということに対して、
そう言う意味で恐れを抱く方は
少なくないですね。
でも、じゃぁ逃げ道を取っておいて
今の在り方のままこの先も生きていくのか
というと、それもそれで決して心地良くは
ないわけです。
本人も、もうそういうやり方で散々
うまくいかずに苦しんできているので、
それはわかるんですね。
でも、まっすぐに向き合うのはちょっと
恐いな~という躊躇が、少し進んでは
現われ、また少し進んではブレーキを踏み、
という風に、ゆっくりゆっくり
進んでいくんですね。
一度でも、真実を受け入れることを
決めた人は、一時的に停滞を経験しても
その方向の流れが戻ることはありません。
遅かれ早かれ、真実はあなたの人生を
浸食し、あなたの生きるべき道に
引き戻していくでしょう。
それにどれだけ抵抗しているか。
その遊びがあるだけです。
でも、抵抗するより受け入れた方が
絶対に心は安らかに、ものごとは
調和していきます。
受け入れる前は、それがどれほど
この世の終わりのように思えて
エゴが恐れおののくか、そういう
姿もたくさん見てきました。
けれど、一旦受け入れてしまえば
あれほど恐ろしかったことが、
実はなんてことなかった、どうして
もっと早くできなかったんだろう?
とさえ思えてしまうのです。
自分が嫌で嫌で突っ張っていた時は、
相手も「鏡」ですから絶対に
譲らないですよね。
でも、自分が突っ張るのをやめれば、
相手ももう意固地になって反発
してくることはないのです。
そうなったら、自分を守る必要自体が
なくなりませんか?
一体誰から何を守ろうとしてきたのか。
攻撃しようとしているその相手は、
実は自分自身が「鏡」に映った姿
なのだと、どうぞ理解してください。
ワークをすればするほど、
このことをあらゆる出来事の中に
見るようになるでしょう。
自分は一体何と戦っていたのか。
その気づきが、人生を大きく転換
していきます。
こうして、かつて自分を守るために
作ってきたたくさんの分離が統合され、
1つのものに帰っていきます。
分離していたからこそ生じていた
様々な恐れや機能不全が解消されると、
それまで「厄介なモンスター」だったものが
今度は逆に「心強い味方」になってくれます。
自分の扱い1つで、徹底的に反抗する敵が
無くてはならない大切な宝にもなるんです。
そう考えると、敵が多い人は、
ものすごく力強い味方になる可能性のある
存在がたくさんいる、とも言えますよね。
ポテンシャルの大きさに期待です。(^^)
最悪の敵を、最強の味方に変容させると、
そこだけではなく、ストーリー全体も
驚くほど変化を見せます。
自分自身はおろか、そのストーリーに
かかわる無数の人の人生も、まるで
違うものになっていくのです。
ワークの中で見るビジョンでは、
最初は物凄く悲惨な人生だったのが、
統合した後は、みんなが笑顔になって
幸せに、生き生きと過ごしている姿に
変化していることも良くあります。
そう言うのを見るたびに、
今この瞬間の自身の勇気と決断が、
どれほどの領域に調和と癒しをもたらして
いるのかと、しみじみ思うのです。
たとえこの世界で自身の歩みが
誰にも知られていなかったとしても、
些細で非力な一歩だと思えても、
あなたのこうした真実への歩みは、
宇宙に鳴り響く福音だと
私には思えるのです。
だから、どうぞ地味に思えるこの歩みを
自分だけのものだと軽んじないでください。
あなたの勇気は、必ず報いられるでしょう。
願わくば、その歩みが軽やかに、
喜びに満ちたものでありますように。