先週の土曜日は特別講座⑨
「健全な自尊心を回復するワーク」
でした。
満員御礼でお集まりくださった
みなさま、ありがとうございました。
自分自身を信頼できる、
自分を誇りに思う、
大切な存在だと思えるには、
まず第一に、ずるいことやってたら
そんな風には思えないでしょう。
つまり、自分自身の責任を負うことから
逃げていては、自尊心ってどうやっても
持つことはできないんですね。
頭のレベルだったら、
そんなことないよ~って言えるでしょうけど、
ハートはそんな自分を絶対に信頼しません。
だからこの講座でも、いかにこれまで
自分が逃げてきた責任を自身に引き戻して
受け止めることができるか、という
ところが焦点になりました。
でも、いきなりそれをやったわけではなくて、
傷ついて疲れ果てているところを段階的に
癒し、向き合えるだけのエネルギーと
体勢を整えることに午前中をあてました。
ギリギリまで追い込んでける状態にまで
準備ができている方は、どんどん
追い込んでいきましたが、
みなさんそれぞれ状態が異なるので、
状態に応じた対処が必要です。
深く心に刺さっていたトゲを抜き、
自分が何を選択していたのかに気づくと、
もう必要のないパターンではなく、
もっと別の選択ができるようになります。
どうしてそんな選択をしていたのか?
というところにも、深い気づきが
あったりしますね。
ある方は、自分の受け入れ難い側面を
拒絶するために、自分が被害者になって
加害者にそうした側面を転嫁していました。
でも、それに気づいて
受け入れ難かった側面を自分で受け止めれば、
もう被害者になる必要もありませんし、
誰も加害者にしなくて済むのです。
自分のひどすぎる側面を転嫁するには、
同じくらい「ひどすぎる加害者」が必要です。
どうして自分はこんなにいつもひどいことを
されるんだろう?と思う方もあるかも
しれませんが、
あなたが拒絶したひどい側面を
押し付けるために、どうしてもその人が
必要だったというわけですね。
これ、結構衝撃的じゃないですか?
「自分はあそこまでひどくない!」
と思いたい方には、きっとピンとこない話
なのだろうと思いますが。
ここが腑に落ちれば、被害者と加害者の
絡み合う自作自演のストーリーも、
終わらせることができます。
実際に、気づいてから自身の側面を
引き受けるまでにタイムラグはある
でしょうが、もう以前の在り方に戻りたい
とは絶対に思えないでしょう。
それから、自分が大嫌い、信用できない
と思っている方もありましたが、
過去の痛みを伴う体験にひたすら寄り添い、
働きかけを受け続けるうちに、
魂の奥底に長いこと隠してきた秘密に
向き合う準備ができた方もありました。
そのことが、自分への不信につながって
いたのですね。
とても痛い魂の記憶だと思いますが、
そこにどうにかして向き合いたい、
と思えるということは、とても素晴らしい、
魂にとっては一大事件だったと思います。
そこには確かに恩寵が働いていたでしょう。
そう思えた方のお顔は、どこか晴れ晴れとして
肚が座り、凛々しさが漂っていました。
もう、明らかに講座が始まる前のその方では
ありませんでした。
そうやって人は、生まれ変わっていくのですね。
また別の方は、これまで今一つ自分自身に
触れたという実感を持てずにいましたが、
やっとそれを実感されるところまできました。
けれど、この感覚がまた失われるのでは
ないかという恐れもまだ残っていました。
自身への不信が消えなかったわけですが、
それはなぜかというと、どんな声であれ
内なる自身の声を聴く、ということに
コミットできていないからです。
都合の良い声なら聴くけれど、
自身の進みたい方向と反対の声は正直
聞きたくない、という状態なのですね。
こういう場合は、自分の思うようにならない
ときの苦しさを統合していくことで、
どんな声でも受け止められるスタンスが
整ってきます。
そうなれば、
もっと自分を信頼できるようになり、
自身との絆も常に感じられるように
なるでしょう。
誰しも多かれ少なかれ、
自分の思うようにならない苛立ち、
ストレスってあるものだと思いますが、
力でそれをねじ伏せようとすると、
ますます思うようにならない状況を
生み出してしまいます。
力でねじ伏せるやり方は、
「下の下」と心しておきましょう。
深く肚を決めてコミットメントできない
のが今の自分なのです。
その自分すら否定しないで見つめ
続けることができるか。
これも、受け入れがたい自分を
抹殺せず、誰のせいにもしないで
引き受ける訓練ですね。
「あなたがそんなんだから
私がこんなにも苦しいんじゃないの!
あなたなんて大嫌い!消えてなくなれ!」
って、自分自身にすら言っていたりする
ことがあるんですよね。こんなあからさまな
言葉は無意識に隠すでしょうけれど、
本音は大体こんな感じです。
けれど、その苦しみは、思う通りにならない
自身のカケラせいじゃないですよ。
それも責任転嫁です。
なかなかややこしいですね。
でも、「~のせい」にしている責任を
全て引き戻さない限り、自分自身への不信も
終わらないでしょう。
責任転嫁している自分にどこまで気づけるか。
気づく力、受け止める勇気を
「祈り求めて」いきましょう。