昨日は感情解放ワークショップでした。
お集まりくださったみなさま、
ありがとうございました。
同じ日に参加される方にはしばしば
共通のテーマが見られるという傾向が
あるのですが、
昨日はこのテーマを一言で言い表すとしたら
「誰かのせいにしていた自身の不幸
の責任を、自分自身に引き戻すこと」
になるでしょうか。
責任転嫁の方法も様々あります。
たとえば、
自身の現実に表れてきた人たちは、
それがどんなに受け入れ難い人であろうと
自身の側面を表した鏡であるという
法則があります。
けれど、その相手の素行があまりにも
ひどいものだったりすると、大抵人はみな
「いくら何でもあり得ないでしょ。
私はあんな人とは違うわ!法則だって
完全にそうだとは言えないはず」
とかなんとか言って、相手を切り離して
批難したり愚痴を言ったりして
「別物扱い」をするのです。
けれど、そういう人が自身の現実に現れる
ということは、
「お前はこんな態度をとっているのだぞ。
きづきなさい。そして改めなさい」
というお知らせなのです。
それを「私はあんなじゃない!」と
切り捨てると、お知らせのボリュームが
上がってきます。
その人と縁を切っても、また別のところで
それ以上に強烈な人が現れてきて、
避け難く前よりも苦悩が深まるのです。
心当たりがある人も多いでしょう。
こういうケースで、
「私が機嫌よくいられないのは
あの人のせいよ!」って思っていると、
幸せはどんどん遠のいていきます。
頭で「鏡の法則」がわかっていても、
目の前の「鏡」を見て自身の在り方を
改められないのであれば、
「鏡」を理解したとは言えません。
自分の一部を切り捨てて否定し続けることで
あなたは他者からまさにその要素ゆえに
切り捨てられるでしょう。
「鏡」は、決してあなたでないものを
映すことはありません。寸分たがわず、
あれはあなたなのです。
そのことが、本当に真実なのかどうかは、
あなた自身がしかと「鏡」の像を
見つめることで確かめてみたらいい
と思います。
違うに決まっている!と思って向き合う
のではダメですよ。
真っすぐに、じ~っと見つめていれば、
必ずわかります。
それができないとき、あなたは深いレベルで
それが真実であるということを本当は
知っているのでしょう。
あれが紛れもなく自分だと知ってしまったら
とても耐え難い苦しみを味わうと、
あなたは知っているから
確かめられずにいるのです。
受け入れたくないんですね。
でも、遅かれ早かれ、あなたはその事実に
向き合わざるを得ないでしょう。
ただ、早いか遅いかだけです。
そしてまた、別のタイプの責任転嫁も
あります。
それは、自分が無力になって、
その代わりに相手を動かして
自分の思うとおりに動いてもらおう
とするタイプです。
こういうタイプは、自分に自信がない人が
多いですね。
自分には自身を幸せにする力がないんだから、
あなたが私を幸せにしてちょうだい!
って必死になってるんです。
自分の幸せはその人の働き次第ということに
なるので、相手が自分の思うように動くよう、
あの手この手で一生懸命コントロール
しようとします。
そして、その人が思うように動かないと、
その人を責めて、「あなたのせいで私は
こんなにもみじめで不幸なんじゃないの!」
って不平不満を言い、憎み、呪ったりします。
でも、そもそも相手にあなたを幸せにしなければ
いけない責任って、ないんですね。
世間ではそうは思われてないようですが、
自分の幸せに責任が取れるのは、
自分だけです。
他のどんな存在でさえ、
あなたの幸せに責任を負ってはいません。
それは、あなた自身がやらなければ
いけないことなんです。
時に人は、自身の幸せの責任を神のせいさえ
しますね。
あんなにお布施をしたのに、ちっとも
幸せにならない!と不平を言ったり、
このお守りもお祓いも、
全然効かないじゃないの!って怒ったり。
相手をコントロールして自分の願いを
叶えさせようとすることは、たとえるなら
クレーンゲームをしているくらいに
もどかしいものでしょう。
自分で手を伸ばして取った方が
ずっと早いのにね。(笑)
ゲームを楽しむのも一興、
でも飽きたのなら、自身のパワーを
取り戻さなければいけませんね。
私たちは、ちゃんと自身の願いを叶える力が
備わっています。
でも、どんなに頑張っても叶わなくて
忸怩たる思いを味わっている人もいますね。
なぜ叶わないのか。
その理由を、誰のせいにもしないで
考えてみてください。
あなたの現実は、あなた自身が
作り出しているものでしたよね?
あなたは、自身の創造した現実に
責任を取っているでしょうか?
それがどんなものであれ、
逃げずに引き受けているでしょうか?
それは私のせいじゃない。
その言葉はとても強力に
自身の真のパワーを封じ込め、無力にさせます。
よくよく注意して使うことです。
自身の真のパワーを取り戻したいと思うのなら、
自身の現実に責任を取る在り方を身につける
ことが必須です。
それができないから、実は強大な自身のパワーを
扱いきれないという深いレベルの恐れが拭えず、
無力でいなくては安心できないのです。
全ては、自分自身の在り方一つですね。