水星逆行中ということで、
急な予定変更が続いているのですが、
流れに逆らわずに乗っていると、
予定よりも結構いい感じになったりして、
こんなのもありなんだ~!と
ホクホクしています(^^)
水星逆行、そんなに恐がることはないですね。
また、懐かしい方との再会も先週、今週と
続いていますが、嬉しかったり、複雑な気持ち
だったり、自分の変化や今のポジションを
確認する機会になっていますね。
これまで、自分が重ねてきた時間に、
すごく頑張った努力や、手つかずのまま
残してきたわだかまりなどを見て、
また在るがままのこの自分から始めよう!
と気持ちを新たにしています。
そんな中、日課の瞑想中にふと、
自分自身から逃げているところはないだろうか?
もしあるとするならば、それが何であれ、
完全に引き受ける覚悟をしよう、
と思いました。
今までもそれをしてこなかったわけではない
のですが、先日も「幸せになること」から
なんだかんだ言い訳をして逃げている自分を
発見し、とても驚きだったりしたからです。
逃避は、ネガティブなものだけじゃなく、
一般的にはポジティブなものにも
起こるんですね。
幸せが近づくと、恐くなって自分から
それをぶち壊しに行くというパターンが
これです。
心当たりのある方、結構いらっしゃるのでは?
気づいたので、幸せになることへの恐れも
逃げずに受け止めていこうと、
覚悟を決めました。
今までは、結構ネガティブなものへの覚悟は
してきたんですけどね、こういうのは
多分初めてかもしれません。
何かが変わっていくといいな(^^)
自分の中で、逃げているものがあるときは、
存在全体のバイブレーションを見たときに、
様々なレベルのレイヤーがズレまくっている
ように感じます。
だから、全然すっきりしない。
けれど、心が定まってどこにも逃げている
ところがなくなると、あらゆるレイヤーが
ピタッとズレなく一直線に定まり、
とてもクリアな状態に整います。
この感覚がたまらなく心地良いので、
この状態を目指して調整していこうと
したときに、
あぁ、覚悟なんだな。
と思ったのです。
いかなる状況も、今のこの自分で引き受けよう。
それ以上でもなく、それ以下でもなく、
ただシンプルに、あらゆるレベルの「今」を
引き受けて在る。
それができるとかできないとかではなく、
うまくできない自分も、「在るがままの今」
なわけで、そんな自分さえも引き受ける
ということです。
そんな風に思ったときに、
諸々思うようにならないもどかしさを
抱えていた心が、す~っと静まっていく
のを感じました。
そして、どこか微妙にズレていたレイヤーが、
より深いレベルまでピタッと整ってきた
感触がありました。
そのとき、もう目覚めなんでどうでもいいや。
と、すごく自然にそんな気持ちが出てきました。
これ、私的にはかなり衝撃的な思いです。
今この瞬間のあらゆる自分を引き受けている
ならば、それ以上に大切なことはない
という気がしたのです。
そこから動く必要すらも感じない、
という感覚でした。
多分、これでいいのでしょう。
こうして自身のズレていたレイヤーが
ピタッと一致すると、現実の流れも
すごくスムーズになりました。
水星逆行中のハプニングも楽しんで
流せるくらいに、より素敵なものに
なっています。
思い返せば、今まで私がそれと気づかずに
一番逃げてきたものは、師の教えに対して
かもしれません。
一生懸命やっているようで、
私の根底のスタンスは、師に背を向けていた
と思います。
師の眼差しを受けて浮上する諸々から
逃げていたのですね。
師が差し伸べた手を前に、
私は自分でも不思議なほど動揺し、
その苦しみの中で容易く自分を見失います。
蛇に睨まれた蛙にように、
固まってしまうこともありましたね。
これがずっと、無意識に起こっていたのです。
だからこれを、意識に浮上させていきます。
絶対的に、私の内で起こることから逃げない
と肚を決めて。
師の教えを深く受け取ってしまうと、
胸や腹が引きちぎられるような苦しみが
起こります。
なぜそんなにも苦しいのか、
ストーリーは全く出てこないのですが、
ただただ引きちぎられるように苦しい。
心臓もバクバク不規則に脈打っています。
そうした気持ちの悪さが何度か繰り返し
やってきましたが、体から離れずにしっかりと
引き受けて起こるように起こさせていったら、
やがてその苦しみは去っていきました。
こんなのを持ったままでは、
教えを受け取れないわけですね。
苦しみが去った後、改めて師の教えに
向き合ってみたところ、大分マシになりました。
エゴの鎧が引き剥がされていくときの
苦しみなのかもしれません。
年に1度、師に会えるリトリートまで
あと半月。
もう少し詰めておこうと思います。