基本、このブログでは政治ネタは
書かない方針なのですが、
エゴの逃避と隠蔽というテーマから、
このところ騒がれているてんやわんやの
公文書書き換え問題については、
非常に興味深く見ています。
一つの特例をねじ込むために、
ルールを曲げ、事実を隠蔽し、嘘をつき、
それらのつじつまを合わせようとして
とんでもない広範囲の事実の歪曲を
しなければならなくなり、犯罪行為まで
犯す羽目になり。
挙句に、結局築き上げてきた虚構が破綻する
という。。。
人間の良心は、色々な意見もあるでしょうが、
深いレベルでは嘘に耐えられるようには
できていないと私は思っています。
事実を捻じ曲げたことの傷は、
深く魂に刻まれます。
今生、逃げ切ったとしても、魂の旅路の中で、
必ずツケを払うときがやってきます。
そんなたくさんの魂のストーリーを見てきた
立場としては、この因果の法則は、
びた一文まかるようなものではないと
断言します。
個人の魂の中でもこうしたことが起こりますし、
時代を超えて、歪みの修正への動きは
莫大なエネルギーをためたうねりとなって
あらわれてきますね。
嘘をつくと、魂は非常に苦しみます。
平気で嘘を付ける人は、苦しみを感じる感覚を
どうにかしてねじ伏せなければなりません。
「ねじ伏せる」って結構強い言葉ですが、
普通でないことを無理やり収めている
わけです。
それができてしまう感性は、
かなり「異常」というか「尋常ではない状態」
だと気づかねばならないと私は思います。
組織や個人の保身においてはそういうことも
時には必要なんだという理屈もあるでしょうが、
スピリットにおいては、それをすることは
多分そういう理屈で生きている人が想像する
以上に、相当に重いことだと思うのです。
自分や人は誤魔化せても、
神は絶対に誤魔化せはしません。
神という表現に抵抗があるならば、
自身の魂、と言い換えてもいいでしょう。
誰が気づかなくても、自身の深いレベルは
そういう自分を絶対に許せはしないし
それが故に深く苦しみを抱えるように
なるのです。
感情解放のセッションでは、
自尊心の欠如や罪悪感の奥に、
魂の奥に埋もれた「捻じ曲げた事実」を
見出すことがしばしばあります。
在るがままの事実を生きることを
恐れ、逃げたがためにやった行為の数々を
今生、この時に修正していくのです。
魂に深く刺さった「トゲ」を抜いていく
わけですね。
健全な自尊心を持てないのは、
単に昔いじめられたからとか
両親との関係が悪かったからとか、
誰かに気づつけられた経験があるから、
というだけのことではない「因果」が
あったりするのです。
自分が自分をどうしても許せない。
だから、自分を責めるために
数々の試練を課して決して幸せになっては
いけない、とやっているわけです。
自ら歪めた世界を、在るがままに
受け止め直し、修正する作業をするときが
必ずやって来るでしょう。
そういう意味で、自身の魂に誠実であることは、
何よりの財産だと思うのです。
そしてこのテーマを掘り下げていくときに
行きつくのは、
そもそもなぜ事実を歪める必要があったのか?
そのことによって得ようとしたものは何か?
それを得られなかったときに起こるであろう
状況にどんな恐れがあったのか?
という疑問です。
この恐れの奥に、最も避けたかった
「核心の感情」があります。
どんな行為をするにも、
掘り下げていけば必ず動機があって、
その奥には感情があるのです。
とするならば、この感情の部分に
きちんと対処しておかない限り、
構造的にまた同じことをやってしまう
可能性はずっと残るわけです。
現代社会においては、何か問題が起こって
再発防止策を講じるときに、こういうところ
にまで対処するということは多分ないのかも
しれません。
けれど、本当はとても大事なところ
なんですよね。
何かの誘惑がそこにあったのであれば、
なぜその誘惑に乗ったのか。
そこにどんな心の隙があったのかを
知らねばなりません。
それを知らずに、誘惑に乗らないように、
と自らを戒めても、構造的にあるものなので、
戒めの効力は実に頼りないものになります。
ものごとは、人の感情を軸に読み解いていくと、
ストーリーの中に実に興味深い「構」造が
見えてきます。
この構想をいかに捉えるかが、
ものごとの流れをつかむコツであり、
対処法を導き出すカギになります。
逆にこれが捉えられていない状態でいかに
対処をしようとも、的外れなものになるでしょう。
エゴはこうした構造が暴かれるのを非常に
嫌います。
たとえばあまり良くないですが、
犯罪者が自分の犯罪の手口を暴かれるような
心情とでもたとえたらいいでしょうか。
それを何とか逃れるためだったら、
どんなことでもしようとする、
かもしれません。
暴かれる側の熾烈な抵抗を見ていると、
「エゴ、頑張ってるな~」って
見ちゃうんですけどね。
本当は早々に降参して、
真実を元に在り方を改めた方がずっと
楽なのにね。
私の現実に起こったテレビの先のできごと
ですが、改めて我が身を振り返って
見たいと思います。