日々色々な方のセッションをさせて
いただいてますが、その方がどんな気持ちで
セッションを受けられに来たかって、
ものすごく大きいと思います。
もちろん、セッションを誘導していく側の
腕もとても重要なんですけれどね。
何と言っても「共同作業」ですから、
このセッションを絶対に有効に使ってやろう!
という主体としての意識は持っていて
欲しいな、と思うのです。
この「主体としての意識」があると、
たとえどんなに抑圧が強くて何も感じられない
ってなったとしても、
さぁこの状況で自分はどうしたいのか?
という問いかけが自分にできます。
何も感じられないのは自分で感じる感覚を
閉ざしているからで、感じてしまったら
耐え難い苦しみがあると深いところでは
知っているわけです。
そこに対して、その苦しみをお迎えに行って
受け止めていくのかどうかを選択できます。
でも、「主体の意識」がない人は、
ぼんやりと「よくわからない」状態が
続きます。
自分が逃げていることにも、
これでは気づけませんし、
実際にまったく自覚がないんですね。
感情解放のセッションでは、
寝ていてエネルギーを流してすっきりする
というようなものではないので、
自身の在り方を深く深く問いながら、
その都度選択をし、踏み出し、
気づきと変容を重ねていきます。
だから、そこに主体の意識がないと、
まったくセッションにはならないのです。
この状態から、自分に向き合える状態が
整うまで、結構時間がかかる方もいます。
向き合う、って頭で決めて、
でもできないというのとも違って、
向き合ってるのか向き合えてないのかが
全くわからないというのは、前者よりも数段、
状態的には「深刻」と言えます。
あまり深刻さを煽りたくはないのですけれど、
そういう方はふんわり伝えてもほぼスルー
してしまうので、敢えて強い表現にしてます。
気づけない、ということは、
存在にとっては健全な状態ではないのだ、
ということを本当に深く受け止めて
ほしいのです。
昔、私が感情解放に取り組み始めたとき、
ヒーラー仲間に「今何を感じてる?
気持ちは?」って聞かれて、全く何も
感じられなかったことがありました。
その時初めて自分が「尋常ではない状態」
にあるのだという危機感を持ったのですが、
尋常ではない状態なのにまるで気が付かない
でいるということが、どれほど異常なこと
なのか、まず認識することが第一歩です。
中には、危機的状況に気づきたくない
という方もあるでしょうが、
そう言っていられる状況なのか、
そこで逡巡する方は、まだ逃げ道がある
と思っているのでしょうね。
そういう方に対して私ができるのは、
逃げ道に対する希望を潰して釘を刺すこと
でしょうか。
鬼かもしれませんけど、そうすることが
私のヒーラーとしての責任でもあると
思っています。
以前はやりませんでしたけどね、
最近は釘とトンカチの準備はいつでも
ぬかりありません。笑
どんなことであれ、ものごとに向き合うとき、
そのことが大事であればあるほど、
周到に準備をして意識を集中させて
臨むと思います。
そこが散漫で整っていないと、
約束の時間に遅刻したり、道に迷ったり
ミスが起こったりします。
このくらいならいいだろう、という
気持ちで自分に向き合うとしたら、
やっぱりその内容も「この程度のもの」
になるんじゃないかな~と思います。
「この程度のもの」で、
「やった!今日も逃げきった!」と喜ぶのか、
「残念だった!」と悔しがるのか。
どちらがいいのでしょうね?
時間を有効に使いましょう。
そして、自分にとっての優先順位を
明確にしましょう。
自分自身の声を聴くことの優先順位が
低い方は、ほぼ現実がうまくいっていません。
その在り方で、目先の辛い状況だけどうにか
消えればいいとジタバタするのです。
心当たりのある方は、今すぐに
自分に対する優先順位を上げることです。
それを後回しにできる認識自体を
転換する必要があるのです。
たとえるなら、
家から火が出て今すぐに消火活動をするか、
この場を逃げ出さなければいけない状況なのに
ゲームを止めないようなものです。
このように、私たちの状況認識はしばしば
適切になされないことがあります。
見たくないものは見えないし、
聞きたくないものは聞こえないからです。
自分の認識は常に歪む可能性を孕んでいる
と心しておくことです。
だからこそ、常に何らかの方法で
チェックする必要があります。
耳をふさいでいないか、
無かったことにしていないか、
スルーしているサインがないか、
お知らせは、何度も繰り返し
やってきています。
ちょっとした「!?」という出来事が
続いたときは、要注意です。
そしてまた、誰かに何かを言われたときも、
頭ごなしに切り捨てるのではなく、
一旦受け止めて、
注意深くそこから受け取るべきものは
受け取り、棄てるべきものは棄てるよう、
精査しましょう。
巧言令色に肥大した自我には、
苦言に積極的に耳を傾けるべきときも
あるでしょうから。
つくづく自我は、
甘言(かんげん)を好み、
諫言(かんげん)に耳をふさぐものだと
心しておくように。