昨日は特別講座
「憎しみや罪悪感、許しと和解のワーク」
の1回目でした。
お集まりくださったみなさま、
ありがとうございます。
みなさんそれぞれ、どうしても許せない人や
罪悪感を抱えた出来事について、
深く向き合っていかれました。
朝から夕方までたくさんエネルギーを
掛けながら、今まで受け止めきれずに
逃げ続けてきた「核心の痛み」に
迫っていきましたが、
どんな出来事も、被害者になったのなら
加害者の側面があります。
アイツにこんなひどいことをされた!
と思うとき、その相手は「鏡」ですから、
相手がなぜそんなことをしたのか
その動機を掘り下げていくと、
そこに見えた「逃げているもの」と
まったく同じものが、自分の中に必ず
見出せます。
つまり、
自分がそれを受け止めたくないから、
同じように逃げている相手を引き寄せ、
その人に「お前はこのように逃げているぞ」
と教えられるわけです。
向き合う中で、しっかりと「鏡」を
覗けた人は、その瞬間に、相手の姿が
自分のことであるとはっきりわかります。
この「鏡」を覗いて、自分がちゃんと
受け止められたのかチェックしつつ、
自分が放棄した責任を引き戻し、
絡み合った糸を解いていきます。
このとき、しばしばネックになるのが、
「自分が悪者になりたくない」という
自身の非を絶対に認めようとしない
抵抗です。
プライドがズタズタになるとか、
築き上げてきたものが崩れてしまうとか、
惨めになる、敗北者になりたくないとか、
被害者からしたら、「何言ってんだ!」
って思うようなものにしがみついて
手放すことができないんですね。
でも、相手のそんな姿もまた、
自分自身の映し鏡です。
そういうものにしがみついている限りは、
後ろめたさや罪悪感、あるいは恨まれること、
恨むことから逃れることはできません。
プライドがズタズタになったり
惨めさ、無力感、虚しさ、敗北感などを
しっかり味わい、受け止めていく
必要があるのです。
こういうものを前にしたとき、
誰しも逡巡しますね。
でも、限られた時間の中で、
このタイミングを逃すのか生かすのか、
みなさんには何度か覚悟を決めることを
促していきました。
心が定まれば、癒しのエネルギーは
その後押しができます。
けれど、定まらずに後ろ向きなまま
逃げているのであれば、エネルギーは
何ら、役には立ちません。
相手を悪者にして苦しみを抱え込むのか、
そこそこ辛いけれど、悪い逃避癖を
今ここで断ち切っていくのか。
踏ん張りどころですね。
この「そこそこ辛い」という感覚、
とっても気持ち悪いことは確かですが、
別に死にはしません。
本当に自分が決めるのなら、
受け止められない、ということは
無いんですね。
そうして、勇気ある決断ができて、
魂の奥底に長いこと沈んでいた苦しみを
お迎えに行けた方は、
ずっと抱えていた相手との間のわだかまりを
解き、怒りや憎しみ、悲しみ、やるせない
諸々の思いを統合していかれました。
この統合までのプロセスを誘導していて
つくづく感じたのは、
私たちは本当に色々な方法で
自分自身の気持ちから逃げていて、
これに向き直ることは、なかなかに
難しい、というか、一筋縄ではいかない
ということです。
どんなヒーリングを受ける時でも
そうだと思うのですが、
自分自身に背を向けているとき、
癒しは起こりません。
自分自身に向き直った分だけ、
癒しは起こります。
なぜなら、その苦しみの根本は、
自分に背を向けていることから
きているからです。
これは何度も書いてきているけれど、
そうであってもここをすっ飛ばして
表面的な苦しみだけ消そうとする人が
とても多いです。
多分、自分が自分に背を向けている
という概念もなければ、自覚もない
のでしょう。だから気づけない。
この部分の断絶を、再びつなげていくのが
一苦労なのです。
ここができれば、気づきも早いし、
癒しもどんどん起こっていきます。
逆に、何をやっても今一つ癒えた感覚がない
という方は、この部分が欠けていると
思います。
最初のボタンが外れてるんですね。
自分自身の誠実に、膝突き合わせて
向き合っているか。
どこか投げやりで拗ねていたり諦めていたり
しないかどうか。
投げやりになったり拗ねたり諦めるのは、
そうしなかったらものすごく辛いからですね。
その辛さから逃げているのです。
そこに向き直ります。
これ、結構きついですよね。
わかります。
でも、逃げ続けていたら、
延々とこれが続きます。
こういう時に一度でも決断できると、
以後はその「決断できた自分」になるので
それまでの自分から方向転換でき、
大きく行動パターンが変わっていきます。
どこか後ろめたさや罪悪感を抱えた自分
ではなく、ちゃんと責任を取る自分として、
生き生きとしたパワーを内側にみなぎらせた
自分になるのです。
そういう自分は、恨みや罪悪感とは無縁です。
被害者・加害者のストーリーも、
卒業していくでしょう。
清々しく、堂々とした人生を生きていきましょう。