気が付けば3月。
早いですね~。
近頃、1週間が3日くらいしか
ないんじゃないかって感じます。
ホント、あっという間に人生が
終わってそうです。笑
さて。
人間、生きていれば誰しも、
思うようにならないことがあるものです。
なかなかに悩ましく、辛いものですが、
そういう時にどんな態度で過ごすのか、
とても大切なことだと思います。
重苦しい気持ちに耐えかねて、
我が身の境遇を嘆き、誰かに愚痴をこぼし、
あるいは世の中を批判しながら
日々を過ごすこともあるでしょうし、
ひたすら、黙々と今の自分にできること
を積んでいく人もあるでしょう。
今ふと思い出したのは、
私が通った中学・高校の校訓に
「怒るな働け」というのがあるのですが、
在学中は全く心に響くところがなかったものの、
今ウン十年ぶりにこの言葉を思い出して、
なかなか含蓄のある言葉だな、
と思いました。
自身の境遇を人と比べながら
我が身を嘆けば、隣の芝生は青くキラキラ
輝くものに見えるでしょう。
というか、そうとしか見えず、
輝く芝生はますます自己憐憫を強める
足しにしかならないかもしれません。
けれど、単純に羨ましさと自己憐憫に
浸るのは、とても表面的な視野で、
「自分自身がお留守」の在り方のように
思うのです。
我が身を嘆き、愚痴を言い、他者を批判する
前に、もっとやることがあるんじゃないか。
「怒るな働け」は
無駄なことにエネルギーを注ぐ暇があったら、
もっと建設的なことにエネルギーを使えって
ことなんでしょう。
感情解放ワークの観点でこれを見れば、
まず愚痴を言うのは、自身の痛みのエネルギーを
他者に押し付ける行為だと私は
思っています。
愚痴を言うのは、一時的にすっきりする
のでしょうが、そのことで根本的に
何かが変わるわけではありません。
お互いに愚痴を言い合ってすっきりしている
時は気づきにくいですが、一方的に愚痴を
聞かされるのは不快なものです。
それは、痛みの感情のエネルギーを
愚痴を言う相手に押し付けているからです。
そうやってガス抜きができたとしても、
ではその人自身がそういう苦しい出来事を
引き寄せている要因に気づくかと言えば、
ほぼ気づくことはないでしょう。
そういう観点で見ると、
愚痴を聞いてあげることはたとえ親切心から
であったとしても、その人の気づきの機会を
奪っている行為だと私は思うのです。
だから、私は愚痴を言うのも聞くことも
どちらもしないと決めています。
苦しい感情は自分できちんと受け止めて、
状況に適切に応答する。
今自分はどうしたいのか。
そのために何ができるのか。
こう問うことを心掛けています。
嘆くことは、苦しみの感情の中に
ただ溺れているだけです。
受け止めるでもなく、
なすすべもなく飲み込まれている。
これでは、自身の感情に責任を取っている
とは言えません。当然、苦しみはいつまでも
続きます。
誰しも、こんな無力な自分で苦しみ続けたい
わけではないですよね。
ほんの僅かでいい。その状況の中で
できることはないか。
問い、そしてそれを実行してみてください。
その瞬間から、あなたは以前の無力な自分
とは違う自分になっているのです。
そうやって、自分自身に誇りと力を
取り戻していきます。
また、批判について、私の師である
レナード・ジェイコブソンは、
それはエゴのエネルギーだと言っています。
エゴだから良いとか悪いと言っているわけ
ではなく、ただそのことに気づくように
と促しているのだと思います。
私たちが何かや誰かを批判するとき、
自身の内側に必ず何かしら、不快なエネルギーが
浮上していると思います。
その痛みの反応として、
批判という行為があるんですね。
誰かに何か意見をしようと思うとき、
相手の行為が不愉快だから変えてやろう
というところから意見しようとしたら、
そこには必ず批判のエネルギーが
入ります。
つまり、自分の中で浮上した不愉快な
エネルギーを、「意見」の言葉の中に
含ませて相手に投げかけることになるのです。
相手はその不愉快なエネルギーを受け取って、
不愉快な気持ちになってあなたの言葉を
聞くでしょう。
当然、その意見が受け入れられる確率は
とても低くなります。
建設的な動機から意見したいのなら、
批判であってはなりません。
自分の中で浮上した不愉快な痛みの
エネルギーを自分で受け止め、
統合したうえで、
ニュートラルなポジションから
相手と対話すべきだろうと
私は思います。
何かや誰かを批判したいと思ったとき、
そのことで自分が何を目指しているのか、
よくよく振り返ったうえで、
最も効率的に「望む結果」を得るには
どうすべきなのか、行動することが大切です。
単に自分のクサクサ・モヤモヤした気持ちが
すっきりすれば、あとは野となれ山となれ
でいいのか。
相手ともっと居心地の良い、
建設的な関係性を構築したいのか。
何のためにその言葉を投げかけるのかを
問うてみることです。
嘆き、愚痴、批判について
意識的に普段の自分の行動パターンを
見ていくと、気づくことがあるでしょう。