内なる神とのつながりを取り戻す
特別講座の2回目は、常連の方々が
お集まりくださいました。
内なる神とのつながりを取り戻す
ということは、今現在は
神に背を向けているということでも
あります。
なぜ背を向けるようになったのか。
そこにはそれなりに強い感情を
伴った体験の記憶があるはずです。
講座の中では、たくさんのエネルギーを
かけながら、そのわだかまりの感情を
浮上させていきました。
その方の中から浮上してきたのは、
魂の奥に長いこと隠されてきて、
自分自身でも思い出すこともままならない
「秘密の記憶」でした。
それぞれに一筋縄ではいかない封印の
仕掛けがあったりしましたが、
周辺のエネルギーを丁寧に完了させながら
深く深く隠してきたものを引き上げて
いきました。
埋もれているときは無意識にも
痛みを発しているものですが、
一旦浮上させ、気づいてしまえば
痛みはす~っと引いていきます。
にもかかわらず、見つけるまでは
激しい抵抗を見せるのですね。
今、自分が何を選択するのか。
そのことを何度も問い、自身の在り方を
修正していきます。
そうして、背を向けていたものに
向き直ったとき、自身の奥深いところに
探し求めていたものを感じたかも
しれません。
今回の講座で感じたものを、
みなさんそれぞれに深めていって
いただけたらと思います。
ありがとうございました。
【ご感想】***************
昨日はありがとうございました!
今日は心身共にぐったりしていますが、
昨日の衝撃が、表面では感知できないところで消化浸透している気がします。
昨日は午前中から、自分の中に埋もれていたストーリーに驚き、とにかく必死で自分の感情を受け止めていきました。
現在の自分の状態である、「自分の人生を他の存在に明け渡してしまっていること」と「自身で決めたり選択したりできないこと」、それぞれの大元が出現したため、うわこれ一気にくるのか、ちょっと待って、しかしここで向き合わないと、となんだか大変になってました。
どちらも男性の過去世で、心血を注いでいた仕事にまつわる出来事の中で、まさかの人物に殺されたこと、人を巻き込んで大きな失敗を犯したこと。
特に、前者の場合は、死に際のあまりの悔しさや絶望から、強烈な感情を発していました。今までの人生では1ミクロンたりとも想像できない職業と感情です。
仕事も成し遂げられずにこんな殺され方をするのだから、もう人間などではなく、いっそ歯車のような機械になってやる、と自分を呪い、同時に、無限に広がる世界の偉大さには憧れ続けながら、すでに生き物ではなくなっていきました。
その「いっそ機械になってやる」を強く念じてしまったが故に、彼が信じた偉大な世界の中で、おもちゃとしての機械になるという皮肉すぎる結果に陥ったんですね。
しかも、今の私自身だけでなく、彼の時代から、時間を遡って更なる過去世の数々に至るまで、「他の存在に使われる人生」が続いていったのには呆然としました。
全ての原因は自分にある・引き寄せの法則・潜在意識には主語がない、などなど様々な概念の本当の姿はこういうことだったのか!と、腑に落ちるを超えて、地中に埋まった気分でした。
ふたつの過去世と、脳天を打ち割られるように気づいたことや思い知ったことが自分の奥深くに根付くまでには、しばらく時間がかかりそうです。
でもその期間もまた、新たな気づきを深めていく時間なのだなと感じています。
そして、夕方になって触れることができた、内なる神。
それはとても明るく軽やかでした。偏在していて、内在していて、循環していて、全てだいじょうぶな存在でした。
面白いことに、その段階で、無意識に「自分は内なる神には出会えない可能性が高い。でももし出会えたら、号泣したり笑いが止まらなくなったりするんじゃないか」的な予想をしていたことに気づきました。
でも実際はそんなことはなく、感動する一方で、どこかから引き続いていた安心感を味わってもいました。
あの存在はずっといたし、今もいるし、これからもいるのだから、ひっくり返るほど驚くものではなかったんですね。
しばらくは、余韻に浸っていようと思います。
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特別講座に参加させて頂きましてありがとうございました。
私は、自分が無能だという事を無意識ですが隠して隠し続けていました。
「自分は無能であると隠している、知られるのが怖い」と思った時に、ぴったりとくる感覚がありました。
「はい。そうなんです。」と素直に感じました。
恥ずかしくて笑ってしまいました。
自分が出来るだけの力を発揮してもなかなか解決出来ない問題が起こるのは、自分の無能さをひたすら隠して頑なに必死になっていたからなのだと、やっと分かりました。
明らかにされる事を恐れていましたが、明らかになった時は、「あ~、見つかっちゃった」と、かなり軽い思いでした。
隠していた感情が明らかになってしまうのは、なんて楽しいのでしょう。
苦しみの先にしか、喜びがないと思っていた時期が長かったので、楽しみながら取り組む自分というのも、最近の発見です。こんな考え方が出来るようになってとても嬉しいです。
KOUさんからもご指摘いただいた通り、「自分は幸せになってはいけない」と小さい頃から感じていました。
この辺りの感情も、そのうちに明らかになると思います。
今回の講座のテーマである神は、怒りのイメージがあり巨大でどこまでもすごい早さで追いかけてくるように思っていました。
私は、大きすぎる自然や物体に対して恐れがあります。
例えば、夏の夕方に見かける大きい赤い月、広すぎる空、高く大きい山、海。
見えてきた過去世での神の姿と私にとって大きすぎる自然への恐怖の質が同じでした。
ここに繋がるとは、驚きです。
神や自然に対して恐れてはいても、人への不信よりは神や自然の方が身近に感じます。
私は、人付き合いも苦手で友達もいませんが、自分でその状況を確かに選んでました。
孤独だと言ってる割には、そこに悩みがそれほど無かったのも事実です。自分で、選んでました。
今回の講座は、頑丈に絡まっていた鎖が緩んだ時間でした。
頑なに神や人を拒み続けている私。
でも、「もう、たくさん」なのです。
頑なな私は。
「何でも自分でやるしかない、自分には出来る」と言い聞かせていましたが、「もう、降参しまーす」と両腕を大きく振っている自分がいます。