昨日は感情解放ワークショップでした。
お集まりくださったみなさま、
ありがとうございました。(^^)
月3回あるワークショップですが、
同じ回に参加される方は同じテーマを
持っていらっしゃることが多いですね。
昨日も、体の症状をテーマにして
ワークをする方が重なって、
それぞれのワークをシェアすることで、
また多面的にご自身の症状の
メッセージを捉えられたのではないかな
と思います。
よく、体のメッセージの傾向を
まとめた本とかありますね。
リズ・ブルボーさんとか
ルイーズ・ヘイさんとか。
私も持ってて、割とよく参考にさせて
いただいてますが、必ずしもそればかり
とも限らないケースもあるな~と思います。
だから、本当は「当事者」に
直接聞くのが一番ですね。
でもなかなかそういう声を拾えない状態
にあることも多いので、こうした本は
とても助けになると思います。
普段耳を傾けてもらえない心の声は、
止むにやまれず体に出るようになる。
昨日掘り下げしたワークでも、
それぞれの症状がどんなにか苦しい思いを
長いこと堪えて来たのか、ご本人も
読み解きながら、理解されたと思います。
自分に、こんなに苦しい思いを
させてきてしまったんですね。
そうした気持ちのカケラ君たちを
みなさんそれぞれのペースで、
少しずつお迎えに行きました。
昨日は初めてご参加の方もいらして、
頭でわかってはいても、なかなか
居心地の悪い感情のエネルギーに
触れるのは抵抗があったり、色々な
ブロックに阻まれたりもされていました。
でも、どうにかその悲痛な声を聴き、
受け止めていくと、その場でみるみる
症状が軽くなっていった方も
ありました。
昨日は全部はなくならなかったけれど、
「当事者」の声を聴きながら、
必要であれば病院でお薬をいただいたり
して、「適切に対処」していただけたらと
思います。
お薬を使うのに抵抗がある方もいらっしゃる
でしょうが、当事者であるカケラ君が
それを望むのなら、そうしてあげても
いいんじゃないかな、と私は思います。
臨機応変に、応答していきましょう。
昨日の参加者は初めての方とベテランさんの
組み合わせでしたが、やはりワークを
続けてきていらっしゃる方は意識の使い方が
こなれていますね。
きちんと意識を狙ったところにフォーカスさせ
ピントを合わせてそこにいることができる。
初心者だと、どうしてもこうはいきません。
やっぱり積み重ねって、大切ですね。
その方も、できないできないって言いながら
地道に続けてこられて、今でもできてる自覚は
ないそうですが、でもすごいと思います。
100%ではなくても、日常起こったことは
後からでも「なぜこんなことが起こった
のだろう?」って振り返る癖がついてますし、
カケラ君の声を聴くことは大事だとか、
ちゃんと鏡を見て在り方を正す必要がある
といった意識は持っていらっしゃいます。
このことが、どれだけ人生の質を変えるか。
多分、私もこうしたことを知らなかったら、
嫌なことが起これば何かで気晴らしをし、
愚痴を言い、八つ当たりをして
同じところをグルグルしていたでしょう。
でも、堂々巡りしないでしっかりと
ステップを上がっていく方法を知ったから、
一見ネガティブと思える出来事の奥にある
信じられないような愛を見出せるように
なったし、
必要以上にうろたえずに、今やるべきことに
踏みとどまって、持ちこたえらえるように
なりました。
まだまだ未熟ではありますが、
20年前の私だったら想像もできないことを
できるように、ここまで色々な存在や出来事に
導いていただいたんだな、と感謝しかありません。
20年前の私は、自分が大嫌いでした。
この世で最も信用できないものが
自分でした。
毎日、自分なんていなくなればいいと
思って、一日一日、ただ息をしているだけ
がやっとでした。
そんな私が今、自分に向き合い、
和解し、愛し、信頼することをお伝えしている
のですから、人生ってわからないものです。
これまでを振り返ってみてふと思ったのは、
「その時できることをしていればいいんだ」
ということです。
あれもこれもと無理を自分に強いないで、
ただ息をすることだったり、
自分の感情に向き合えるだけ向き合うこと
だったり、あと一歩、勇気を出して
声を出すことだったり。
今この瞬間、できる力はあるけれど、
まだやっていないことをすればいいだけ
だったんだ、と思ったのです。
そうしていくと、できなかったことが
少しずつできるようになってくる。
それは、潜在していた可能性を
見える形に表現していくことです。
できることをしていくことで
今この瞬間に起こっていることというのは、
そういうことだったんだな、
と何となくわかったのです。
自分自身の可能性を拓いていく。
今この瞬間に在って、
潜在していた自身の可能性がこの世界に
生まれていくのを見届ける。
その当事者であり、見届け人でもあるのが
この「自分」という意識です。
なんだか、「今ここ」で起こっていることって、
すごいことのような気がしてきました。