昨日は豊かさの特別講座の2回目でした。
お忙しい中お集まりくださったみなさま
ありがとうございました。
今回も豊かさというテーマから入って、
様々に人生の流れをせき止めている
要因に働きかけていったのですが、
やはり家族をはじめとるすこれまでの
人間関係での苦痛がネックになっている
ケースが多かったように思います。
これがあると、どうしても人との触れ合いを
自ら制限するような選択をしてしまいますし
そうなると様々な人生の扉を閉ざすことに
なってしまいます。
もちろん、豊かさの扉もです。
お金の円は人の縁とよく言いますが、
この部分に痛みがあるのとないのとでは、
人生で味わう喜びやうまみも、随分
違ってくるでしょう。
そして、人間関係は自身と自分との関係の
映し鏡であることを思えば、
究極的には豊かさとは、
いかに自分と良い関係を築けるか?
にかかっていると言えるでしょう。
自分をまるで奴隷のようにこき使って
得たお金は、カスカスのエネルギーしかありません。
だから、一生懸命働いても、
いつもカツカツという状態になってしまうのです。
最も信用できない存在が自分であるという方は
少なくないようですが、
自分に背を向けないで、
自分に向き直って意識を向け、
そのあらゆる側面を抱きしめ、
受け入れてあげてほしいのです。
本当に安らぎに満ちた豊かさは、
そこから始まります。
最も目を背け、否定してきた自身の側面を
受け入れて行こう、と心を決めることが
できた方は、
多分その瞬間から何か自分の中で
カチッとはまったような感覚を
感じることができるでしょう。
地に足がついた感じというか、
空回りしていたギアが入って
ぐっと大地を踏みしめるときに
近い感覚と言えるでしょうか。
ここが曖昧だと、推進力は生まれません。
頭で「そうしたいと思っている」というのと
「そうすると決めた」の間には、
ものすごく大きな違いがあります。
前者は、思っているけれどできていない状態です。
ここを勘違いして、思っているだけなのに
既に決めて実践しているのだと錯覚していると、
やってるはずなのになんで進まないんだろう?
となります。
こういうときは、自身の真実をはっきりと
明確につかまねばなりません。
すなわち、何らかの理由で前進したくない、
自分に向き直るなんてしたくない自分がいる
ということです。
絶対に自分を許せないと思っている自分が
いるのかもしれないし、
生きること自体がもうどうにも嫌になっている
自分がいるのかもしれません。
とにかく、どうにも進みたくない自分を
ちゃんと見つけ出し、そこに寄り添ってあげる
必要があるのだろうと思うのです。
ここをおろそかにしてとにかく前に進めさえ
すればそれでいい、とアクセルを踏む人が
多いですが、それは決してうまくいきません。
取り残された自分のカケラは、
とても心細い思いをして怯え、
身を固くしています。
そのカケラの状態が、自身にそっくりそのまま
反映されるのだと思えば、決して放置していい
ものだとは言えないでしょう。
自分の中で、カチッとスイッチが入って
ギアがかみ合っていけば、
誰でも進んでいけるのです。
進むほどに何かしら手ごたえを感じられ、
喜びややる気もますます出てくるでしょう。
そこまでくれば、心配はいりません。
問題は、その状態をいかにして作るか、
ということですね。
進みたくない人は、
そう思っている自分を隠します。
気づいてしまったら、その状態が
自作自演の悲劇であることが
バレてしまうからです。
だから意識に一生懸命煙幕を張ったり、
訳が分からなくしたりして抵抗します。
そうした熾烈な抵抗に遭ったときは、
それと喧嘩して敵対するのではなく、
その奥のどこかに、怯えている自分がいる
ということに心を寄せ続けてください。
弱い自分、できない自分、役に立たない自分
が大嫌いという方もあるでしょうが、
そういう自分を責め立てるのではなく、
その悲しい、惨めな、心細い、不安な気持ちを
どうぞ抱きしめてあげてください。
これを拒絶すると、あなたの現実に
人間の弱さ、惨めさなどをいやというほど
見せつけてくれる人が現れるでしょう。
どんなに隠しても、本当はお前はこんな姿を
しているぞ、と教えてくれるんですね。
そういう人に出会うと、あなたの心は千々に乱れ、
平静ではいられないでしょう。
己の弱さを切り捨てたら強くなるのかと言えば、
決してそうはなりません。
ますます弱く、もろくなります。
逆に、受け入れれば、しなやかに、
よりパワフルな自分に生まれ変わります。
パラドックスですね。
そしてそんな自分に、豊かさが惜しみなく
流れ込むのです。