先日の日曜日に、埼玉某所に呼んでいただいて
出張講座をしてきました。
お招きくださったみなさま、
ありがとうございました。
みなさんそれぞれに課題とするテーマを
お持ちでしたが、
この講座をさせていただく中で、
本当に自分自身に寄り添い、その声を聴く
ということがどういうことなのか、
実感していただけたかな、と思います。
自分に向き合うというと、
なかなか勇気のいることで、
難しいとか逃げ出したい、無理などと
思う方も少なくないようです。
けれど、実際にやってみると、
それは苦しいことではなくて、
本当に安らぎと喜びを感じられる、
とても素敵なことなのです。
講座では朝から夕方まで、
昼食時にもず~っとエネルギーが流れる設定
で過ごしていただくので、たくさんの
エネルギーを受け続けます。
その中で、様々な問いかけを通して
自分が本当は何を感じて、どう思っていたのか。
どんな風に自身の現実で生じる痛みを
避けているのか、意識に浮上させていきます。
普段は見ないふり、手の付けられないもの
として心の奥深くにしまい込んだものですから、
ここに意識をダイレクトに向けていく体験も、
ほとんどの方が初めてだったかもしれません。
隠しておきたい、触れたくないとずっと
思っていたものを開いていくのは、
勇気のいることですね。
でも、エネルギーのサポートを受けながら
取り組んでいくと、案外大丈夫かも!?
と思えるようになっていくので
どんどん変化していきます。
みなさん、多かれ少なかれ、今の自分から
変わっていきたいと思われて参加されていると
思いますが、
あるところまで来ると、変化していくこと
に対する恐れや抵抗というのも出てきたりします。
あれ?ずっと苦しんできたのに、それが
なくなっちゃったら、私がなくなっちゃう!
と、不安になったりするんですね。
変な話ですが、慣れ親しんだ苦しみのない自分に
戸惑うわけです。
そうなりたいって、ずっと思い求めて来たのに、
面白いものですね。
このとき「私がなくなっちゃう」と恐れているのは
エゴです。
エゴは変化を極端に嫌います。そして、
苦しみを抑圧してきたのはエゴ自身なので、
それをやめるとなると、これまで耐え続けた日々が
否定されたようにも感じます。
だから、抑圧という痛みの回避行動がうまくいって
いないにもかかわらず、それをやめることが
できないのです。
ここに、許可を出していけるかどうかが、
転換へのかなり大きなポイントになります。
このポイントに関しては色々なアプローチで
サポートはできますが、最終的に決めるのは
やはり本人でしょう。
たとえば、怒りを支えにして生きることを
止めてもいいのか。
誰かや何かの依存する在り方をやめて、
自分の足でこの大地に立ち、
自身の人生の責任を引き受ける
生き方をしてもいいのか。
悲しみによってつながっていた
大切な人との絆を手放して、
もっと自由なつながり方で
その関係を再構築してもいいのか。
どうしてもそうしなければならない
というくらいの必然性が本人の中に
育っていれば、
その人は力強く勇気をもって、
このハードルを越えていけるでしょう。
私たちはしばしば、頭で考えることと
ハートの奥の真実の声が食い違っている
ことがあります。
自分との対話を始めたばかりの方は、
なかなかそこに気づけなかったり、
頭の声とハートの声の識別がうまく
できなかったりします。
けれど、そうであったとしても、
対話を続けてください。
頭の進みたい方向と、ハートの声が
反対に向いていたとしても、
そういう声をこそ、握りつぶさずに
拾えるように。
今の自分が最も避けたくて、
最も逃げ出したいものは何だろう?
と問うて、それを受け止めるように
意識をしていくと、「都合の悪い声」も
だんだんと拾えるようになってきます。
なぜそれをする必要があるのかというと、
握りつぶされた声の立場に立ってみれば
わかるでしょう。
自分の声を握りつぶすような存在を、
私たちは信頼することができるでしょうか?
逆に、相手にとって良い条件の話でもないのに
ちゃんと聞いてくれ、誠実に対応してくれる
人がいたとしたら、私たちの心はどれほど
安らぐでしょうか。
前者では、必然的に不振と分離が生じ、
後者では安らぎと信頼が生まれます。
これがもし、自分が自分にする態度だとしたら、
あなたはどちらを自分にしたいと思うでしょうか。
自分を全く信じられないという方は
前者をしているのです。
自分との信頼関係が育っていくと、
それが「自信」になります。
「自分を信じる」って、そういうことです。
自信をもった自分でありたければ、
まずは自分との信頼関係を築きましょう。