何かものごとを学ぶとき、
師匠からある程度の手ほどきを受け、
お手本を見せてもらっても、
それができるようになるには、
やはり自分なりの試行錯誤を経なければ
いけないところがどうしてもあるよな~
とつらつらと考えていました。
プレゼンスについても、
レナードからその教えを受け、
彼のプレゼンスに触れても、
実際に一人であのプレゼンスを体現しよう
と思ったら、それはもう、ものすごい
道のりがあると私は感じます。
そしてその道のりは、その道を歩む
それぞれの人によって、唯一無二の
歩みになるだろうと思います。
私は人一倍不器用で物分かりが悪い方なので、
迷い遠回りしながら、どうにかドロップアウト
だけはしないで続けていますが、
もう無理~!と思ったことも数知れません。
(^^;
レナードは、目の前に在るものとともに
今ここにいる、というシンプルな方法を
説いていますが、
私にはこれがどうしても難しい。
で、色々試行錯誤しているわけですが、
そうしているうちに、彼の教えを
正確に踏襲できていない自分に時折、
これは邪道かな~と
思ったりすることもあります。
まぁ、人それぞれの歩みがあるならば、
内なる神への祈りとともに、
私オリジナルの歩みがあっても
いいか、と思いつつ、
邪道も極めたら正道の到達点と
同じところにたどり着けるかな?と、
これもまた実験しているのかもしれません。
人それぞれの持っている資質によって、
入りやすかったり難しかったり、
ということがこの教えについても
言えるんじゃないか、と思うことも
あります。
わかりやすく、こんな例をお話してみます。
私は20代の半ばごろにバイクに乗っていた
んですけどね(意外!?(^^)、
あるとき、友人とツーリングに行って、
カーブの多いコースを走っていました。
まだ慣れない私はコーナーを切るとき、
どうしてもおっかなびっくりで、
体のあちこちに余計な力が入って
すぐにヘトヘトになりました。
一方、同じころに免許を取って、
さほど経験も違わないはずの友人は、
ケロッとしているので、コーナーでは
どうやってバイクを操作しているのか?
と聞いたことがありました。
すると、後輪ブレーキをうまく使って
回っているよ、というのを聞いて、
私はどうしてそれで回れるのか、
不思議に思いました。
ちなみに、そのときの私のバイクは
あるホンダの250ccで、
友人のはカワサキの400cc。
そもそも車体重量が20kgくらい違う上に、
私のバイクの方が重心が高い位置にあるので、
友人と同じ方法では同じように曲がれないんですね。
しかも中古で買った私のバイクは前の持ち主の
癖がかなりあって、なかなか大変でした。
友人とバイクを交換して乗ってみたのですが、
すご~く乗りやすくて、設計のコンセプトで
随分違うものなんだな~と実感した体験でした。
これと同じように、人の心や体、意識も、
それぞれで優れているところ、ちょっと苦手
にしているところ、あるいは、ごっそり
抜け落ちている資質とかがあって、
人によって教えられた方法が難しかったり
簡単にできてしまったり、ということが
あるんじゃないかな~と思うわけです。
私自身、ごっそり抜け落ちている感覚
といえば、方向感覚とか手先の器用さとか。
これはどうやってもないですね~。笑
でも何とか生きてます。
他にも色々、自分の資質を踏まえたうえで、
あのプレゼンスに少しでも近づきたい!
と思ったら、
レナードの教えるスタンダードな方法
ではない道があってもいいんじゃないか、
と歩みの遅い自分を慰めていたりします。
これはレナードの教えだけじゃなくて、
色々な学びについて言えることだと
思うのですが、
よく言われるアドバイスで、
「うまくいっている人のやり方をまねる」
というのがあります。
私はこれ、とても懐疑的なんですよね。
確かに、うまくいっていない人に学んでも
その人ができていないわけだから
全然説得力は無いですが、
だからと言って、うまくいっている人の方法
を自分がやったから、必ずしもうまくいく、
というわけじゃないよね、と思うのです。
その人はできたかもしれない。
けれど、背景も諸々の条件も違う
私にはどうなのか。
そこはきっちり、「別物」として検証する
必要はあると思います。
ヒーリングもセラピーも自己啓発にも
言えますね。
そこはよくよく自分自身と対話して進めること
が大切です。
結局のところ、多くのメソッドがある中で、
いかにそれを自身の血肉とするか、
という部分はやはり個々の取り組みに
よるところが大きいんだろうな、
と思った次第です。