昨日で仕事納めという方も多かったようですが、
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
私は、懸案だった大掃除もどうにか昨日で
めぼしいところは終わり、あとは今日、
ちょちょっとやって終わり、と
目途がついてホッとしています。
なんでしょうね、「何が何でも年内に!」と
追い立てられるようにして終わらようとする
この情熱。
箪笥も本棚も冷蔵庫も、普段開けない
引き出しも戸棚も全部ひっくり返して
掃除しないと気が済まないんです。
毎年、母に「病気だわ」と呆れられながらも
我ながら「今年も頑張った!」とある種の
達成感を感じております。笑
考えてみれば、掃除なんていつやっても
いいわけです。
普段からちょこちょこやっていれば、
そんなに大変になるはずない
と思うのですが、なぜか結局
大仕事になっています。
でも、こうした区切りや節目を意識して
改めて我が身を振り返るという機会があるのも、
なかなかいいことだと思うのです。
普段は何の疑問もなく過ごしているけれど、
「これはその位置でいいの?」
「これはまだ持っていたいもの?」
「これはどうしようもないって諦めてた
けれど、この前見つけたあのツールを
使ったら、何とかなるんじゃない?」
などなど、
改めて見てみると、かなり色々な
発見があったりします。
で、「もうこれは要らない!」と思い切って
物を処分したら、空いたスペースに
別の活用法を思いついたりして、
どんどんエネルギーも変化していきます。
掃除って、ある種自分に向き合うことも
含んでますよね。
お掃除が苦手って人も結構いらっしゃる
ようですが、お掃除のどんな要素が
苦手なのかを良~く見ていくと、
今自分がどこで引っかかっているのか、
気づくことがあるように思います。
たとえば、そもそも掃除をしようと思っても
気が重くなって動けない、という方は、
とても心身が疲れていて、エネルギーが
枯渇しているのに、自分に鞭打って無理やり
動こうとしているのかもしれませんし、
膨大な作業を思ってそのプレッシャーに
押しつぶされていて動けないとか、
完璧にやろうと思うけれど、
できない自分を思い知るのが嫌で、そもそも
始められない、という方もあるかもしれません。
また、どこから手を付けていいかわからない
という方は、すべてをいっぺんにやろうとして
混乱しているとか、
頑固な汚れを落とす方法やうまいツールの
使い方がわからないとか。
物を捨てられないという方は、
過去の思い出に支えられている自分を
変えたくないとか、捨てた後に後悔するのが
嫌だとか。
あるいは、新しく素敵なものが
自分の人生にやって来る、ということが
信じられない、ということもあるのかな?
思いつくままに挙げてみましたが、
何か心当たり、ありましたか?(^^)
この傾向、そっくりそのまま、
ご自身のあらゆる側面に同じように
現れているんじゃないかな?と思います。
感情解放のワークもそうですし、
仕事の進め方とか、人間関係とかね。
エネルギーが枯渇しているのなら、
まずはとにかく罪悪感なく(←ここ重要!)
自分を休ませてあげることが必要だし、
もう限界を超えているという自身の状態を
認識することが大切です。
そんな状態の自分を、なぜそこまで
駆り立てて動かそうとしているのか、
という動機になっている「恐れ」も
ありますよね。
理想の自分じゃないと人から愛されないとか
惨めになってしまうとか。。。
休息することに罪悪感を持つ方は、
この恐れをしっかり統合してあげると、
生きることがとても楽になります。
プレッシャーに押しつぶされている人は、
その感覚をそのまま受け止めるとか、
かつてその思いを体験したときに
飲み込んだ言葉を吐き出したり、
助けてほしかった人に助けて!って
表現することが必要なのかもしれません。
完璧主義の方は、完璧でなかったら
味わうであろうとイメージされる気持ちを
明らかにして、それを統合すると、
完璧でない自分も許せるようになります。
それを避けたいがゆえに、完璧であろう
としているからです。
いっぺんに全部やろうとする方は、
自分自身のキャパシティをしっかり捉えられて
いないのかもしれません。
このケースも「思ったよりも能力がない自分」
を思い知りたくない、受け入れたくない
という思いが影響していることもあります。
また、対象に直面してしまうのが恐くて
状況を的確に把握できずにいるという
ケースもあるかもしれませんね。
物に記憶された思い出を手放したくない
という方は、程度にもよるのでしょうが、
そのことで自分が苦しいのなら、
「それにすがらなくても生きていける自分」
に移行していく時期なんでしょう。
その思い出によって埋めている心の隙間は
なんでしょうか。
淋しさや孤独、安心感、絶望を感じないで
済むことや、現実を直視しないで済む
まどろみへの安住でしょうか。
この場合はそれらすべてに自ら責任を
取ることが必要です。
たまに、たくさんの思い出のカケラの
集まったものが自分だと考えている方が
あるのですが、
それだと今この瞬間の自身の命を
生きていないですよね。
だから、毎瞬やって来るこの上なく
素晴らしいものを受け取れない。
そして、そんなものはやって来るはずがない
と思ってしまうわけです。
こんな風に、掃除ひとつとっても、
自分の在り方が結構反映されているものです。
新たな年を、さらに自由に、喜びに満ちた
気持ちで軽やかに迎えられますように。