昨日は「今この瞬間に在ることと心の隙
を癒す」特別講座の1回目でした。
お集まりくださったみなさま、
ありがとうございます。(^^)
わが師レナード・ジェイコブソンの教えに
触れて7年、今の自分にどれだけプレゼンスを
お伝えできるかと思いましたが、
レナードがいつもしているように、
プレゼンスから出てくるものを信頼して、
私の体験をお伝えさせていただきました。
テーマが「今この瞬間」でしたので、
これまでの講座以上にプレゼンスを
強く意識して臨みましたが、
人さまにプレゼンスをお伝えする以上、
伝える側がプレゼンスにいなくてはならない
という思いは、私をいつも以上に深く
それに繋ぎとめてくれたようです。
今後もこの感覚を意識していこうと思います。
人に伝えることは、何よりも自身の勉強になる
とはよく言いますが、
普段一人で悶々とプレゼンスについて
試行錯誤するよりも、人さまにプレゼンスから
伝えるって、ずっと実践になりますね。
あと2回、この講座はあるので
どこまでこれが進化していくか、
自分でも楽しみです。
次回10日(日)、20日(水)の回もまだ
残席ございますので、興味のある方は
ぜひどうぞ!
詳細はこちら
http://healing-gate.com/blog/seminner/supirityuarutokubetukouza6-2/
余談ながら、講座の間プレゼンスにいたせいか、
いつも以上に瞑想会や講座など、
様々なお申込みのメールが来てびっくりでした。
有り難いやら嬉しいやらで、改めて
プレゼンスってすごいって思いました。笑
プレゼンスは、人生のあらゆるレベルを
調和に導いてくれます。
けれど、その方法は私たちの願うやり方には
適合しないことがあるので、
プレゼンスにいれば、何もかもが
思うとおりに行くと思っていると
がっかりします。
プレゼンスは、願望実現のツールとして
使うことはできません。
願望とは、今ここに在る以上のものを
求めることですが、プレゼンスは
今ここに在るもの以上のものではないからです。
けれどプレゼンスは、ツール以上のものです。
それは、人生の真実であり真理そのもの。
「ツールとして使う」ようなものでは
ありません。
私自身、プレゼンスにツールとしての
役割や効能を求めて求めていた時期も
確かにありました。
でも、その頃は失望ばかりでしたね。
これのどこが役に立つんだろう?
って思ってました。
そもそも、この「役に立つ」という
発想自体が間違いだったわけです。
真理は、「使う」のではなく、
それそのものとして生きるほか私たちが
それに接する道はありません。
ツールとして捉えているうちは、
それを使う者と使われるツールという
分離があります。
故に、これが何の役に立つのか、
自分にとって有利か、と値踏みしながら
プレゼンスを見ているうちは、
決してプレゼンスの本質には
近づけないんですね。
プレゼンスが差し出す今この瞬間
以上のものを求めて今ここから
去っていくか、
今この瞬間を在るがままに受け取るか。
プレゼンスを実践しようとする者はみな、
繰り返しこの命題を突き付けられる
と思います。
この命題は、はるか2500年前、
お釈迦様が悟りを開く前の40日の
瞑想期間中に、悪魔から囁かれた誘惑と
同じものでしょう。
悪魔はお釈迦さまに、あらゆる富と権力、
この世の快楽を与えようと囁きましたが、
お釈迦様はこれを跳ね返しました。
私たちも、プレゼンスを実践しながら、
「こんなことをしていても何にもならないよ。
早くあれやこれをしないと、みんなに
後れを取ってしまう」
などとマインドの囁きに焦りを掻き立て
られて、そそくさとプレゼンスから
去っていきます。
プレゼンスを実践しようとする私たちは、
断食などの荒行こそしていませんが、
お釈迦様と同じテストを毎瞬受けているって
なんだかすごいことだと思いませんか?
頭でわかっていても、こうした誘惑を
かわして今この瞬間に根付いていくって、
そう簡単なことではありません。
誰かへの怒りが吹きあがってきた瞬間、
八つ当たりをしないでその感情に
「適切に応答」する選択ができるかどうか。
強い焦りがサワサワしているときに、
それに駆り立ててバタバタと動き始める
のではなく、じっとそのエネルギーに気づいて
プレゼンスとともに受け止める選択が
できるかどうか。
あるいは、誰かを批判したくなったときに、
批判しているのはエゴだと気づいて
プレゼンスに戻る選択ができるか。
毎瞬、数えきれないほどのテストが
やってきますね。
これらの選択は、頭でわかっていれば
さばいていけるほど、単純ではないのです。
感情を知りエゴを知り、あらゆる自身の
心の隙を見抜き、そして実際に試練の中で
リアルな神に触れることで
初めて可能になります。
これは、とても興味深くやりがいのある
チャレンジです。
そしてこのチャレンジに興味を持つこと自体、
ものすごい恩寵だと思います。
あなたの魂が、人生の真実に触れる準備が
できたということなのでしょう。
すべての人の歩みに、祝福がありますように。