今日はお知らせから。12月のワークショップで
平日開催を増やしてほしいというリクエストに
お答えし、12日(火)に追加開催します。
日程の合わなかった方も、ぜひご検討ください。
また明後日23日の「家族とのわだかまりを癒す」
特別講座もまだお席はございますので、
ぎくしゃくした関係をどうにかしたい!
という方はこの機会に取り組んでみましょう。
前回15日に参加された方も、直後から
色々な変化を感じられたようです。
ご感想はこちら。
http://healing-gate.com/blog/2017/11/19/tokubetukouza20171115/
さて。人間生きていると、抱きたくもない
ネガティブな感情を掻き立ててくれる人に
出会ってしまうことがあります。
私自身、ここ数年はそんなに激情にかられる
ことはなくなって、ワークでたまに
過去の深い感情の記憶が出てくる以外は、
ほとんどありませんでした。
ところが、去年ある習い事をはじめたときに
出会った先生がものすごく合わなくて、
最初は戸惑いと悲しみが。その次には
怒りと憎しみが掻き立てられました。
先生の言動に違和感を覚え、人間性に
不信感を抱くまでになって、今でもまだ
籍は残っているものの、半年ほどで
フェードアウトしてしまいました。
今月で縁も切れるぞ~、清々する!
と思っていたところ、その先生から
事務連絡のメールが来て、再び
怒りと憎しみが掻き立てられたのです。
全く最後まで神経を逆なでしてくれる!!
とムカムカしていたのですが、まぁこれも
自分の中の未完了の感情のエネルギーを
しっかり見る機会にしなさいということ
なんでしょう。
せっかく浮上させてくれていたのに、
私が大人ぶって、見ないふりしていたんですね。
やれやれ。。。(^^;
ということで、その先生に対する激怒と
憎しみを存分に浮上させてみました。
こういうネガティブな感情って、
表現することをためらう人は多いですよね。
もちろん、八つ当たりとか復讐とか
人を傷つけるのはいけませんが、
自分の感情に責任を持つことは
とても大切なことです。
見ないふり、なかったことにするなんて、
気持ちのカケラ君にしてみたら
最悪の扱いです。
別にこういうものが自分の中にあっても、
自分の本質が汚れてダメになってしまう
わけではありません。
けれど、私たちはそういうものを自分の中に
みつけると、自分がダメになってみんなからも
見捨てられて孤独になってしまう!などと
ひどく恐れていたりするのです。
こうして抑圧に走るわけですが、自分の中で
拒絶、抑圧した側面は、周囲の人を鏡として
投影されます。
フィルターをかけてその人を見るようになる
わけですね。
だから、その人が本当はいい人であったとしても、
私から見たらとんでもなく悪い奴、どうしようもない
人物に、どうやっても見えてしまうのです。
こう言うと、いやいや、あいつはだれが見ても
ダメ人間だから、と反論する方もあるでしょう。
あなたの現実ではまぁそうかもしれませんが、
翻って、なぜその人が自分の現実に現れてきたのか
といえば、それはあなたに「お前はこんな側面を
もっているぞ」ということを教えるために
やってきているわけです。
相手が嫌いで受け入れがたい強烈な個性であるほど、
「あり得ない!」とあなたは拒絶するでしょう。
でも、拒絶が激しいほど、まぎれもなく
その人はあなた自身が否定した、あなたの姿を
見せてくれているのです。
ここからこの出会いを学びに昇華させるには、
ムカつく気持ちを受け止めつつ、相手をじっと
見つめていく作業が必要です。
あんな奴は嫌いなままでいいんだ!
という選択も、もちろんアリですけれどね。
それをやっていると、だんだん出会う人が
強烈になっていくということは、心に留めて
おかれますように。
現時点でそこまで大嫌いだということは、
これまでにも似たような人に出会ってきて、
学びの機会はやってきているはずなのに、
スルーしてきているということです。
許せない人、激情を掻き立ててくれる人ほど、
とても大切なメッセージを私たちに
差し出してくれています。
その学びへの招待状を、受け取るかどうか。
あなたの機が熟しているのなら、
ぜひトライしてみましょう。
私もあの先生の顔を見るのも声を聞くのも
気分が悪くなりますが、このまま終わっては
いけないな~と思うので、向き合うことにします。
すっきりと新年を迎えたいですからね。(^^)
私の学びのために、敢えて憎まれ役を買って
出てくれた魂レベルの恩に、報いたいのです。
思えば、私は憎しみを表現するのがどうも
苦手なようです。
師と仰ぐレナード・ジェイコブソンが、
何年にもわたって私の中に沈められた憎しみを
引き出そうとしてくれた件もそうですが、
私は憎しみを抱え込んで、なかなか
手放そうとしていません。
憎しみを支えにして生きているところが
あるのかもしれません。
このあたり、もう少し深く
見ていくことにします。