最近、愛を受け取ることについて、
色々と考えることがありました。
私自身もまだまだ完全に愛を受け取れている
訳ではないと感じていますが、
先日、瞑想中に自分が赤ちゃんの時に
抱いていたある思いが噴き出してきて、
びっくりしたことがありました。
赤ちゃんながらに、自分が両親の負担に
なっていると感じていたようで、そのことが
とても悲しくて辛かったようなのです。
両親が、自分を愛してくれているが故に
何かしらの負担を強いられていて、
辛い思いをしている、と思ったのですね。
私はそんな両親を見るのが嫌で、
自分を愛するが故にそんなに苦しむのなら、
愛してくれなくていい、と愛を受け取らない
選択をしていたのでした。
当時は祖父母と叔母との同居でしたから
家族関係も大変で、色々と
感じたものがあったのでしょう。
折角両親は愛を注いでいてくれたのに、
私はほとんど受け取らずに流していたか、
消化不良の状態で長い時間を過ごしていた
ことになります。
赤ちゃんだから何も分からない、
と見るのは大きな誤りで、子供は大人の
想像以上に色々キャッチしていますよね。
そんな人生のごく初期に入ってしまった
愛に対する歪んだ思いに気づいた瞬間から、
改めて両親の愛を受け取り直すという
プロセスが起こっていきました。
父はもう15年も前に亡くなっていますが、
生前はすれ違いのコミュニケーションしか
できていませんでした。
それを、ビジョンの中でじっと父に
向き合って、私に注いでくれていた愛を
真っ直ぐに受け止めていきました。
父を感じていると、父もまた、どこか
自分の愛はどうせ届かないだろうという
諦めのような思いを抱いていたのを
感じます。
お互いがお互いに、愛に不器用だったのですね。
父の諦めの原点は、その生い立ち、
祖父との関係にもあったようです。
深い悲しみと孤独、虚しさのエネルギーが
流れて来て、それをじっと受け止めていると、
やがてそれらがゆっくりと融けていきました。
これらの感情は、思い返せば私が抱いていた
感情とピッタリと一致します。
父が祖父に受け止めてもらった実感が
なかったように、私もまた父に受け止めて
もらった実感がないまま成長していきました。
父はいつも、どこか上の空で、
「今ここ」にいて対話する、ということが
あまりない人でした。
多分祖父も、父に対してそうだった
のでしょう。
こうして、世代間である特定の感情が
連鎖していくのですね。
孤独や悲しみなどの感情が解放されて
行くにつれ、ビジョンの中の父の顔が
穏やかにこちらを向いて笑っている姿に
変わっていきました。
その後もいくつかの感情を父に対して
セッションするように誘導して解放したら、
生前には見られなかったような、
晴れやかで無邪気な笑顔になっていました。
と同時に、私とのコミュニケーションの
ずれが修正され、私に流れてくる父の
エネルギーがとてもスムーズになりました。
こんな風に、亡くなった人であっても、
ちゃんと関係を修復することはできるし、
いつでもわだかまりを癒していくことは
できるのです。
そうして、私の中にあった
親の負担になりたくないから愛を受け取らない
という選択は、解除されていきました。
親子間のわだかまりが解消されると、
家系を流れるエネルギーが淀みなく自分に
流れてくるようになるので、実際に
とても心が軽くなったりします。
親子関係は、人生の原点でもありますから、
ここが癒えることの影響は、今を生きる
私たちの人生の隅々に及びます。
来月の特別講座は、親子関係を取り上げて
みようかな、などと漠然と考えています。
ボチボチ練り始めていくとしましょう。
また詳細は、できるだけ早くアップできるよう
鋭意努力いたします。笑