今日は読者の方からご質問をいただいたので、
これをシェアしてみたいと思います。
お金に関するテーマなのですが、こちらの方は
これまで色々なことがあったものの、ワークを
とても頑張って来られた方です。
その甲斐あって、以前はお金に関する恐怖心が
強くあったのですが、今ではそれもなくなり、
温かいエネルギーで満ちている感覚があるそうです。
けれど、実際問題として「お金がない」という
現実は残り、落胆の気持ちが湧いてきます。
そうなると、あの「満ちている」感覚も、
半分は思考で思い込もうとしているのではないか
と考えてしまうということでした。
感情のエネルギーが現実を引き寄せて来ている
のだとしたら、どうして満ちている感覚がある
のに、現実がそうならないのか。
確かに不思議ですよね。
頂いたメールの中で、私が着目したのは、
「現実は変わらないもの」とその方が書かれた
言葉でした。
どんなにワークを頑張っても、現実は何も
変わりはしない。
そうガッカリされる方は、実は少なくない
と思います。
けれど、注意深くその思いを見ていくと、
ワークをやったつもりで手付かずになっている
感情のカケラ君が残っているんですね。
上記の言葉の中に見えるのは、
「この現実が変わってほしい」
という願いです。
ということは、これをひっくり返してみると、
「変わらない現実にこの先もずっと
居なければいけないことがとても苦しい」
となりますね。
ここに、痛みの感情が残っているわけです。
どうでしょう?
現実が変わらなくてワークに失望されている
あなたにも、同じ苦しみが残っていませんか?
頂いたメールにこう指摘したところ、
その方も
「虚しさ、諦め、落胆」などが
浮かんでくるとのことでした。
この中で、「諦め」は特にキーワードで、
ワークショップでは、これは「感情のフタ」
だとお伝えしています。
これが出てきたらその奥にある痛みの感情を
さらに掘り下げていきます。
その痛みを明らかにする問いがこちらです。
「もしこのまま諦めずにいたとしたら、
どんな気持ちが浮上して来るか?」
諦めるということは、そのままでいたらとても
辛すぎるので、その苦しみを回避するための
逃避行為です。
ですから、回避しなければ、その苦しみが
ダイレクトにやってきます。
それはどんな苦しみでしょうか?
虚しさ、無力感、絶望、悲しみ、閉塞感、
などなど。。。
もう、気が狂いそうなほどの苦しい感情の
数々ですね。
諦めることで避けようとしているのは、
これらの感情や感覚なのです。
これが放置されたまま残っているので、
現実も変わらないのだと言えます。
本当にワークで現状を引き寄せている
エネルギーが解放されているのなら、
そもそも
「今の状況が変わってほしい」
とは思わないでしょう。
すっかり解放され、もう虚しくも
悲しくも苦しくもないわけですから。
変わってほしいと思っている内は、
そこから卒業できないのですね。
その状況の中で浮上させられている
あらゆる感情や飲み込んだ言葉、叫びを
身体の底から吐き出していきましょう。
ただし、感情解放ワークの鉄則として、
しっかりとこの身体と心とともに在りながら
これを行うことです。
そうでないと、いくら泣いてもわめいても、
何の解放にもなりませんから。
この辺りはこれまでも、このブログや
ワークショップでも口を酸っぱくして
お伝えしてきていますよね。
ワークの視点で見れば、以上のように
説明できますが、それでは、全ての抑圧された
感情を解放しなければ幸せになれないのか?
と思われる方もいらっしゃるかと思います。
その疑問には、こうお答えしましょう。
延々といつまでも解放ワークをしている
必要はありません。
そもそもこのワークは、意識をプレゼンスに
定着させていくために生まれたものでした。
抑圧された感情のエネルギーは、私たちを
マインドの思考の世界に引っ張ってしまい、
意識がプレゼンスに定着していくことを妨げます。
ですから、ワークでこれを解放しているのです。
抑圧された感情のチャージが少なくなれば、
意識はプレゼンスに深く根付いていきやすく
なります。
完全にそれがなくならなくても、良いわけです。
感情のチャージが少なくなるということは、
自分が否定した自身の側面を他者に投影しなく
なり、ものごとを在るがままに見られるように
なりますし、
トリガーされるものもなくなるので、かつては
地雷原を歩くように、あらゆるものに反応して
怒ったり悲しんだり妬んだりしまくっていた
気持ちも、穏やかになっていきます。
本当に現実は、自分に優しいものになります。
がっかりする、ということは、どこかで
気持ちが傷ついている、ということですね。
そして、何か期待があった。
そこには、微妙なレベルで「現状に対する否定」
があるのではないでしょうか。
そこで傷ついている自分の気持ちを
どうぞ迎えに行ってあげてください。
あなたの中の気持ちのカケラ君が、労わりと
尊敬の気持ちでもって、温かい居場所を
与えられますように。