先日、8月31日に最後の感情解放ワークショップを
開催させていただきました。お集まりくださったみなさんも、
何だか色々節目を感じさせる濃密なワークとなりました。
雨の中お集まりくださったみなさま、
ありがとうございました。
なかなか変わっていけないとか、同じテーマを何度も
繰り返すとき、そこにはさらに深いレベルで
「先に進むこと」に対する抵抗の思いがあります。
こういうときは、さらに一段深いレベルの問いかけが
必要になってくる場合もあります。
たとえば、普段ワークしていてよく怒りが出てきていて、
たしかに何度も解放しているはずなのに依然として
怒りが収束していかないといったケースの場合。
「怒り」を持っていることで得ているメリットがある
ということを示しています。
だから、容易に怒りを手放してしまいたくないのです。
これを手放すには、そのメリットが何であるかを読み解いて、
そのメリットが無くても大丈夫なように自分を整えて
あげなくてはいけません。
よくあるのが、怒りを行動の推進力にして生きているケースで、
怒りを解放してしまったら何を人生の原動力にして生きたら
良いのか分からなくなってしまう、ということがあります。
別に人生の推進力は怒りでなくてもいいのですが、
その人にとってはこれまでずっと怒りがガソリンだったので、
これを違うものに変える、というのがイメージできなかったり
するわけです。
あるいは、怒っているとみんな腫物を触るように丁寧に
自分に接してくれて、多少のわがままも聞いてもらえるし、
周囲が自分を恐れる様子が自身の力を感じさせてくれたりします。
だから、怒りを手放したくない!となって、
なんだかんだ言ってワークの隙を突いて、どうにか怒りが
完全になくなってしまわないように必死で抵抗しているのです。
これはほかのどんな感情についても言えることで、
手放したいはずなのになかなか手放せずしぶとく残っている
感情には、必ずこうしたメリットがあるのです。
だとしたら、例のように怒りを推進力にしなくても
大丈夫な自分とか、常に怒りで周囲を脅していなくても
自然に自尊心が保て、周囲とのコミュニケーションも取れていれば、
別に怒りにしがみつかなくてもよくなります。
こういう方向性でワークをして、そこにあるわだかまった
感情のエネルギーを解放してやれば、怒りは自分の中に
調和して統合されます。
ワークに慣れて来て、ちょっとしたものだったら
解放できた感覚が持てるようになってきたときに、
「あれ~?これ、何度も出てきてるのにちっとも変化を感じない」
と思ったら、こうしたことを思い返してみて下さい。
人間って、本当に厄介なマインドの構造を持ってますよね。
でも、根源的な欲求が何であるのかを感覚で掴んでしまえば、
理解することはそんなに難しくはないんです。
小さな子供の心理をイメージしてみると、大体わかりますよ。
・嫌だって言ったら、嫌われちゃうかな。
・これをやりたい!って言って失敗したら、自分のせいになっちゃう。
それは嫌だな。
・自分は悪者になりたくない。みんなから好かれる
「良い子」でいたい。
・面倒臭いのは嫌。
・退屈なのも嫌。
・責任を取るのが嫌。だから知らなかった、分からなかった
ことにしておこう。
・あんなみっともない姿が自分だなんて思いたくない。
みっともないのは「あの人」のことで、「私」のことじゃない。
まだまだたくさんありますが、こうした基本的な欲求があって、
これを満たすために、エゴはありとあらゆる手を尽くして
嫌なものを避けるように行動するんですね。
ってことは、こうした原理の反対に意識を向けてやれば、
必ずその先にはテーマの「核心」があるわけです。
だから、「避けたいものの方に意識を深く向けていく」
のがワークの基本なのです。
でもこれって、結構ストレスがかかるんですよね。
嫌な方に向かっていくのだから、当然と言えば当然
なんですけれど、しばしば
「ぎゃぁ~~~!!!こわ~~~い!無理~~~!」
って固まって動けなくなってしまうことがあります。
こういう時に、ゴリ押しして先に進めないように
してくださいね。
中には、こんなに怯えている自分に気づかなかったり
する人もいる、というか、少なくないです。
ちゃんと怯えている自分の声が聞きとれるように、
心を配り、自分自身を抑圧するのではなく、
寄り添うようにしてください。
ワークは「解放すること」ばかりに意識が向きがちですが、
本当はこうした、自分で自分を抑圧していることに気づき、
在り方を改めていくことの方が肝だったりするんです。
ここをたくさんクリアしていくほどに、自分との統合
が進みます。
それは、最も望んでいたはずのことなのに、最も
おざなりにされやすいことでもあるのです。
どうぞそこをおろそかにしないようにしてください。
あなたの愛が、あなた自身を満たしますように。