このブログもあと数か月で丸8年になります。毎日書き続けてきて、去年の10月のブログ消失事件でそれ以前の記事は全部消えてしまいましたが、書くことで日々の自分の歩みを振り返りつつ、何かを積み重ねてきたのだと思います。
いつも、今日は何を書いたらいいか、どうぞ教えてくださいとお祈りをしてから書き始めると、何となく書き出せるのですが、この日は何も降りてこなくて、しばらくダラダラとネットサーフィンなどをして時間が流れて行ってしまいました。
色々なものが転換して行く過渡期にあるようで、秋ごろをめどにして準備を進めているものがいくつかあるのですが、私自身の在り方も見直して行かなければいけないことが盛りだくさんすぎて、モゴモゴしております。(^^;
意識面だけ見るならば、ポーンとどこまでも突き抜けて行ってしまいそうな方向性もあるにはあるのですが、手放しでそちらに行ってしまうことをセーブしている自分もいます。
そんなことしたら、3次元的な実務の方が回らなくなってしまうんじゃないか、と心配で仕方がない自分がギュッとブレーキを踏んでいるのですね。
その恐れが真実かどうかはさておき、「人間として生きなければなならない」という非常に強い義務感が、どこか自分を自分でないものにしているのかな、と感じたりもします。
そんなものさっさと取っ払っちゃえばいいじゃん!という声もごもっとも。でも、そういう側面も、とことん体験したかったんでしょう。
自分というものに向き合い続けた中から感情解放ワークというギフトも生まれましたし、そこから、このとてつもなく興味深い人間という存在を、多少なりとも知ることができましたから。
その一方で、近頃ものすごく宇宙のエネルギーが自分の中に入って来るのを感じています。リラックスしていると、勝手にそちらの方にチューニングされて行くので、近頃あれこれと心を悩ませているのは、無意識にそれを拒絶するための抵抗だったのかな、と今気づきました。
この人生の中で、こんなにも楽に星のエネルギーを感じられたときは無かったかもしれません。地球のバイブレーションも宇宙も、そういう時代に突入して行っているということなのでしょう。
空はますます透明度を増し、深く深く多次元の色合いを見せているように感じます。
毎度空を見上げては、きれいだなぁ。。。と吸い込まれるような美しく神秘的な光にうっとりします。
近頃ぐっとその比重が大きく迫って来て、それまでどうにか保ってきた物凄く泥臭い要素と、神秘的な要素のバランスや質、意味合いが大きく変化していて、新たな自分なりの着地点を模索しているところです。
生々流転がものごとの本質とは言え、安定に安堵を覚えるのが心のさがというもの。不器用に新たな在り方を探っています。
自身に流れ込むこの宇宙のエネルギーに思い切り身を委ねたらどうなるだろうか。それで自身の軸がなくなるというわけでもなさそうなので、自分にそれを許可すると、ものすごくそのバイブレーションがハートに響きます。
ぐぉぉおん。。。と身体全体が振動するような。まるで身体がシンギングボウルになったかのような感覚です。
私が響くと、そのバイブレーションがまた宇宙に返って響き、ほら貝があちこちで呼応しながら狼煙が上がる、みたいなイメージが湧いてきました。
さてさて、何が起こるのでしょうか。
なかなか楽しいイメージに、普段押さえつけている私の中のある側面がほっこりしているので、こちら方面の遊びも、今後取り入れてみようと思います。
無邪気に魂が喜ぶもの、って大事ですね。
こうでなければならない、こうであるべき、という人間であることの枠組みから外れた自分の喜びが、どんなに奇想天外で意味のないものに思えたとしても、大切にして行こうと思いました。