昨日はお盆のお迎え火の日で、我が家でも家の前でお迎え火を焚きました。そして、「こういうときくらい、お題目を唱えなくっちゃ」と思って心の中でお題目を唱えたのですが、後から「あ、オームナマシヴァヤだった!」と気づきました。(^^;
「オームナマシヴァヤ」というのは、シヴァ神のマントラで、私がいつも日課にしているジャパの時に唱えているマントラの一つです。すっかり意識はインド、なのでした。
近頃はお墓参りに行っても心の中で唱えているのはガヤトリーマントラだったり、どうも家の宗派のお題目から離れています。ま、究極的には同じところを指しているのだからいいか、と言い訳していますが。。。
ご滞在くださっているご先祖様や無縁様たちは、心地よくお過ごしだろうかという思いがよぎったので、せっかくなので彼らの視点に入って見て、どんなお気持ちで過ごしているのか、確かめてみました。
まずはお迎え火の煙に乗って家の中に入り、仏壇に。たとえるなら、はるばる温泉旅行にやってきた御一行が長旅を経て温泉宿に到着し、部屋で旅装を解いて一服しているような感じでしょうか。
楽しみにしていた旅行で羽を伸ばし、のんびり楽しもうという様子で、何だか楽しそうです。ご先祖様の視点に入って見るって、今までやったことが無かったですが、なかなか面白いです。
今年も自分たちを迎えてくれる家があることは、ご先祖様にとってとても嬉しいことの様でした。自分たちのことを忘れずにいて、心を配ってもらえることは、とても嬉しいそうです。
逆に、ご先祖様たちが苦しんでいること、心を痛めていることなど無いだろうかと見てみると、自分たちが忘れられて、無かったことにされてしまうのはとても悲しいということでした。
それから、普通は目に見えないものだということは分かるけれど、ここにちゃんと居るのだから居るように意識を向けて接してもらうとさらに嬉しい、という気持ちが伝わってきました。
なるほど~。気付きが一杯です。ただの形式じゃないんですね。
このブログを書き始める前、実はちょっと背中が重だるくなっていることに気づきました。そこで「重いので乗るのは止めてください」と声をかけたらすっと軽くなりました。私の背中、乗り心地がよさそうだったんでしょうか。(^^;
家の中にご滞在いただくのは大歓迎ですが、乗られると疲れるのでそれだけはご遠慮くださいませ、ご先祖様。よろしくお願いしますね。
でも、お気持ちはわかる気がします。子供も、おんぶや抱っこって大好きですものね。それが楽だというだけではなくて、純粋に楽しいし気持ちがいいからなんですよね。
って書いているとまた重くなってきて「だから止めてくださいってば!」とお願いするとすぐに軽くなるのは、やっぱりじゃれているというか、遊ばれている気がします。。。
普段とは違う環境に在ると人間、誰しも開放感を感じていつもしないようなことをしてしまったりしますが、なんだかはしゃいでいるようなそんなバイブレーションも感じられます。
まぁ、たちが悪い方はおられないようなので、ご機嫌よく帰って行っていただけるよう、そこそこおもてなしさせていただこうと思います。
それにしても、ご先祖様にとってお盆というのがこんなにもレジャー感覚なのだと知って、なかなか興味深いです。私もこの世界を卒業したら、こんな風にたまに下界に下って羽を伸ばすのかな。。。
自分だったらどんな風におもてなしされたら嬉しいだろうか、と考えてみると、しっかり対話してもらうと嬉しいと思っていました。
私には子孫はできないでしょうが、もしお盆時に私を招いてくれる人がいたとしたら、あの世の土産話を聞いてもらったり、反対にその方の近況を聞いたり。そんな中で、もしその人に困ったことがあったら、私の経験から力になれることがあればそうして差し上げたいという気持ちがありました。
一方通行ではなく、双方向のコミュニケーションが取れるとやっぱり嬉しいイメージがありますね。
何も特別な能力が必要だというわけではなくて、互いを思いやりながら心を寄せていくということで十分なのです。
見えない世界とのコミュニケーションも、通常の人間関係と変わりはありませんね。よく聞き、観察し、思いやりを持って行動する。
お盆の期間中、ご滞在中の御魂たちと気持ちの良いコミュニケーションを取っていきたいと思います。また何か気づきがあったら、追記していきます。