日々自分に向き合い続けていれば、調子の良いときもあればそうでない時もあると思います。ワークは「在り方」であり、生涯続けていくものだと私は考えているので、自分自身のペースで長距離走を走るように根を詰めることなく気長に、諦めずに続けていかれるのが良いだろうと思います。
自分に愛想を尽かして、「もういい加減うんざりだ!」と、どうにもならない絶望感に苛まれるときも、「私ってこんなにも深く傷ついていたんだ。ごめんね。もっと大切にしてあげなくちゃ」と思う瞬間もあるわけです。
ふり幅の大きいどの瞬間もまた、自分自身の在るがままなのですが、根を詰めてしまって一杯一杯になっているときは、なかなかそのように大らかに見ることができなくなってしまいます。
「まぁ、そんな自分もいるよね」くらいに思って、思うようにならない現状とケンカしないようにしましょう。現実と戦ってしまうと、ますますドツボにはまってしまいますからね。
自ら自分を追い詰めず、大らかに、諦めずに気づき続けていくこと。これが自分と向き合うことのコツだと思います。
向き合わなくちゃいけないのに、ワークしようと思うと眠ってしまう、いつの間にか違うことを考えているなどなどの激しい抵抗が起こっても、どうぞそれをゴリ押しして力づくで進めようとしないでください。
「いやだよ~~~!」って叫んでいる傷ついた気持ちの叫びを、表現させてあげましょう。思い切り駄々をこねて、「やりたくないんだってば!」と子供のように大げさに手足をジタバタさせてみるのも、結構楽しかったりするかもしれません。(^^)
大人も子供もみんな、良い子ちゃんでいようと頑張ってきていますからね。ガシッと抑圧された「イヤだちゃん」たちも、息抜きが必要なときもあります。
実はそうした本音を表現することで、あれほど行き詰っていたりどうにもならなかったことが、案外するっと進めてしまうことが結構あります。
「本当のところ、何が言いたいの?どうしたいの?」という部分を表現することは、何よりも癒しと解放になるんですね。
セッションやワークショップなどで皆さんのワークを誘導していると、みなさんなかなか本音の核心を深く隠していることが多いです。
私は何度も質問を重ねながら、みなさんが隠している、言ってはいけないのだと思い込んできたその本音を浮上させていくのですが、その言葉が出てきたとき、多くの方がそこで「長いこと忘れていた素の自分」に出会ったような感覚を覚えるようです。
「それって、表現しても良かったんだ」と。
ただ在るがままに存在していたそれを否定したり拒絶したりしたから、自分をものすごく歪めなければならなかったのです。それが、その苦しみや生き辛さの原因だったわけです。
けれど、いつまでも自分に嘘をついて歪ませている必要はありません。
当時はそれしかその状況を乗り切る方法が無かったのでしょう。けれど、状況はあれから大きく変わりました。あなたは大人になりましたし、様々な経験も積み重ねてきています。今この時、自身の在り方の棚卸をしても良い頃ではないでしょうか。
今まで、できないと思ってきたことは本当にできないのか。やってはいけないのだと思ってきたことは、本当にそうなのか。色々な思い込みを今一度、疑ってみることです。
そうでない可能性は全くないのでしょうか?可能性が0ではないのだとしたら、それを変えられるし、変えてもいいわけです。その可能性が見えたら、今度は自分に変えていく許可を出します。誰かに許可をもらいに行く必要はないんですね。
以前、セッションの中でこういう場面になって、「え?自分で決めていいんですか?」という方がいらっしゃったのですが、それまでその方はずっと、自分以外の誰かに制限をかけられていたと思い込んできたのです。でも、よく見たら制限をかけていたのは自分だった!のです。
ここまで書いてきてふと、私自身も今、どうしてもブレーキがかかってしまって先に進めない!ということがあったのですが、それは過去のトラウマ体験で生じた感情のエネルギーのせいだと思っていました。
けれど、根本的にはこのブレーキも自分でかけているんだよね。と気づいて、「イヤなら外せばいいのか」と単純に思えたとき、ふっと気持ちが軽くなっていました。
確かに、抑圧された感情のエネルギーは私たちの様々な言動に影響を及ぼしますが、それに影響されることを許しているのも究極のところ、自分自身です。自分が許可しなければ、それが影響することはないのです。
私たちがお札がただの紙切れではなく価値あるものと認識するのも、そういう設定をしているからであり、同じように、感情のエネルギーをどう定義づけるかは、結構大きな要素なのだと気づきました。