感情は、私たちにとってとても身近だけれども、きちんとした扱い方をレクチャーされる機会もほとんどないまま、その荒波の中に放り込まれて何十年もその嵐の中で右往左往している厄介なものだったりします。
楽しい感情だったら大歓迎なのでしょうが、そうでない感情も否応なしにやってきます。ときにはそれが自分のキャパシティを大きく超えてしまうようなエネルギーだったりすることもあり、そうなると緊急避難措置として、感情を感じる回路をバチッと切って、自分を守るということをしたりもします。
私たちは誰しも、多かれ少なかれそんなことをしながらこの人生を何とか生きていることでしょう。
感じる回路を閉ざしていると、当然のことながら私たちは鈍くなります。自身の深いところからやって来るインスピレーションやビジョンといった、人生を導く大切なものからも切り離されてしまうので、その痛みと不安を常にどこかで抱えながら、軸を失った自分を何か他のもので支えながら生きていくことになります。
そんな生き方を本当に望んでいる人はいないでしょう。
感覚を閉ざすのは、あくまで一時避難措置ですから、時期が来たらそれは解除されなければなりません。それがとても不自然な在り方なのだと、気づき、閉ざした感覚を再び開いていく必要性を認識するときがやってきます。
けれど、ある年月慣れ親しんだ在り方を変えていくのには、多くの方が恐れを抱きます。見知らぬ天国よりも、慣れ親しんだ地獄の方が「わかっている」と思えるので、決して良いわけでは無いけれど、まだ「耐えられる」と思うのですね。
本当は、そんな苦しみを耐える必要などどこにもないのに、耐えることでやり過ごそうとするのです。
けれど、私たちの深いところはいつまでもこの状態に居ることを望んではいません。だから、繰り返し繰り返し、「もうそろそろその在り方を方向転換するように」と促すサインを送ってきます。
けれど、変化を恐れる私たちはその声を自分が耐えうる限界までスルーして、変化に抵抗します。そして、もう無理!となったところでようやく重い腰を上げる、というのが大方のパターンと言えます。
そこまで引き延ばす必要はないので、できればサインに速やかに気づいて応答するのがベターなのですけれどね。でも、一歩踏み出すタイミングは、きっとその人にとってそのタイミング以外にはあり得ない必然ということなのかもしれません。
私自身も、変化はとても苦手です。子供のころから、できるだけ慣れ親しんだものの中でのんびりしていたいという気質だったので、ちょっとした変化にも強くストレスを感じる方でした。
そんな私でも、自分の中にたくさんチャージされていた抑圧された感情のエネルギーを解放してきて、変化することで何を恐れているのかをしっかり見られるようになったことで、以前よりずっと落ち着いて変化のプロセスに対応できるようになってきていると思います。
自分が何を恐れているのか、その正体が分からずに恐がっているときが、一番恐いのですね。恐いものがある時は、その恐れの核心をしっかり捉えることが、恐怖を超えていく力を与えてくれるでしょう。
だから、恐れることを殊更に恐れることなく、また否定・拒絶する必要もありません。恐がること自体に、何の問題もないのです。それが厄介なことになるのは、否定・抑圧した時です。
抑圧したことで、恐怖のエネルギーは手の付けられないモンスターのようになって暴れ出します。けれど、在るがままに恐れを受け止めていたら、そのような荒ぶるモンスターにはなりません。
私たちが無意識にやってしまう感情への扱いというのは、大抵適切とは言い難い、まずいやり方なのです。ここをしっかり理解して改めると、荒ぶる感情はちゃんと落ち着いて統合され、何の問題もなくなっていきます。
これが、その感情が存在すること自体が問題とは言えない理由です。問題は、私たちが感情のエネルギーに対して、適切な対処の仕方を知らず、真っ当な扱いができないところにあります。ここをしっかり理解しておきましょう。
ワークショップでお伝えする「感情の基本的性質」では、「感情は善悪のないエネルギーである」とまず最初にお話します。怒りも憎しみも嫉妬も、喜びや愛情などと同じように、良いも悪いもない、ただベクトルの違うエネルギーなのです。
それが悪となるのは、適切に対処するのが難しいからでしょう。
どんな感情も自在に受け止め、他者を傷つけることなく責任を持った方法で表現できると、私たちはとても自由になります。なぜなら、自分の中の無力感や無価値感を埋めるために周囲に称賛を求めるような言動も必要なくなりますし、孤独を埋めるために相手に嫌われないようにする努力をしなくてもよくなるのですから。
今まで、私たちはそんな努力を無数に繰り返してきて、絶望的なまでに絡み合ったパワーゲームを繰り広げてきたのです。けれど、そんな関係性はもっとシンプルで楽にすることは可能です。
そのために、自分はどんな動機から行動しているのか、恐れているものは何か、その行動で何を得ようとしているのかなどなど、自身のパターンに気づくことが大切です。
自身の感情を否定してしまうことの裏にある恐れに、気づくようにしましょう。