最近、朝起きると「今日は愛と感謝と喜びで生きることを選択します」ということを意図して一日を始めています。日々色々なことがあり、そう選択してもなかなか実践できないものだよな~と以前は流されていたのですが、ここのところは明確に意図するようにしている、ということです。
結果、確かに平穏でいられないことが起こったとしても、以前のようにずるずるっと流されて終わるのではなく、ぐっと踏みとどまって、「この状況でも私は愛を選択する」と、再度選択することができているような気がしています。
先日の全くの誤解による感情のもつれも、最終的には本当に深い愛と感謝で収束しましたし、ネガティブと思えるような状況だからこそ、自分でどれだけ「意思の力」を使いこなせているのかが試されているのだろうと感じます。
一度それができるようになると、それが自信になり「できる」という確信になりますね。そうやって自分の可能性を拓いていっている今日この頃です。
自分の新たな可能性を拓くときというのは、簡単にできることで試されることはまずありません。かなり苦しい状況で、自分の持っている力を総動員してやっとこえられるかどうかというレベルの状況でないと、「新しい可能性」を拓いたことにはならないからです。
だから今ちょっとしんどいという方は、「もっと成長したい!」という魂のチャレンジの真っ最中なのだと思います。
私自身もこの数か月、自分がこんなにチキン(ビビリ)だったとは今まで全く知らなかった!というくらいに心情的にものすごく揺さぶられていて、結構ヘトヘトになってもいました。
でも、いったんそうした状況の中で「絶対に愛と光に転換する!」と決めてガッツリ取り組むと、必ずその通りになるのです。
もちろんそのプロセスの中では、自分の弱い部分や苦手だったりするところ、赦せなかったり隠してきたことなどに直面する意志と勇気が試されます。
「やる」と決めればできるし、「え~!そんなのムリ~!(><)」と思えばできないのです。
いずれにせよ、自分がどう在りたいのかをまず選択することで、道は拓けていきます。
ただ、選択するときに注意しなければならないのは、その在り方が本当に自分が望んでいることなのか、社会一般にそれが理想とされているから自分もそうだと何となく思っていることなのか、よくよく自分と対話することが大切です。
そうでないと、本当に自分の望んでいる在り方とはズレた選択をし、一生懸命頑張るけれど結局ものにならないということもありえます。
私たちは、本気で望むことだから懸命に努力できるし、やっていても努力と思わないくらいに夢中になれるのです。そうでないことになど、夢中になれるはずもありません。
よく、自分が本当に望んでいること、天命とか使命とかを知りたいという方があります。私自身も長いことそれが分からなくて彷徨っていましたから、そのお気持ちは良く分かります。
色々な方法はあると思いますが、どんな方法を使うにせよ、自分がそれを受け取る準備ができていないと、たとえこれがあなたの天命ですよ、と言われても、ピンと来なかったり否定してしまったりするでしょう。
では何をどう準備すればいいのでしょうか?
私が思うのは、自分を偽ったり在るがままの自分を否定していると、なかなか自分の天命を受け入れることはできないだろうということです。
どれだけ自分についた嘘を拭い去れるか、どれだけ理想とは程遠い自分を在るがままに見てこれが自分だと許せるか。
もちろん、いっぺんに100%できなくてはいけないというわけではないでしょうが、こうしたことを意識して行くほどに、天命は自ずから私たちに語り掛けてくるような気がします。
それは、誰かに教えられることもあるでしょうが、本当にそれが自身の天命となるのは、自分でそれを確かに感じたときです。自分の命に確かにそれが刻まれているのが、誰に言われなくてもはっきりと分かるのです。
それが分かるくらいに、自分の中の濁りや歪みがクリアであれば、もう何も説明はいらないでしょう。
精進というのは、そのためにするものだと思います。
今まで、自分はたくさんものもを否定してきたな、とつくづく思うのですが、それがここにきて一つずつ受け入れられるようになった途端、今まで閉ざされていた扉が一気に開いていっています。
たとえば、私は両親の愛をずっと拒絶してきたのですが、頭では分かっているものの、身心がアレルギー反応を起こしてしまってどうしてもそれが受け取れなかったのです。
それが、繰り返しワークしてきたことである日突然、自分の中から両親への愛がどっと噴き出してきたということがありました。それを境に、私は両親から愛されていたということも受け入れられるようになり、さらには先祖からの愛も、この身体に巨大な滝が流れるような勢いで流れ込んでくるようになりました。
これほどの愛を、私は今まで拒絶し続けてきたんだと、そのときやっとわかったのです。
この世界で感じる成長というのは、何かを付け足すことなのではなく、自分が否定し続けてきたものをただ認めることで起こることなのかもしれません。
これから、どれだけ否定や拒絶を転換して行けるのか。まだまだ否定しているものがある私には、それだけ可能性があるということなので、これを楽しみに取り組んでいきたいと思います。