9日は満月の瞑想会でした。お久しぶりの方、初めての方など楽しんでいただけましたら幸いです。今回の満月はとても節目感のある星回りだったこともあり、誘導している間もみなさん、様々な体験をされていたようです。
それはきっと、これからのみなさんの人生を大きく開いていく大切なカギになっていくと思います。受け取られたサインやメッセージを、今後も意識を向けて読み解いていってみてください。
また、お盆時の瞑想会ではよくご先祖様関連のヒーリングを誘導したりすることもあったのですが、今回、まだお盆には早いもののご先祖様からの熱烈ラブコール(!?)があったので、これも誘導してみました。
私たちは自身の魂の歴史とともに、肉体における血統の記憶をDNAの中に宿しています。ですから、自身の過去世を癒すのと同時に、DNAの記憶も癒されると、今この瞬間の自分がとても楽になります。ご先祖様たちもとても喜ばれるので、良いことだらけです。(^^)
うちはそういう家系だから、と諦めなくても、サインを適切に読んで対処すればいいだけですから、そこで自分の可能性を閉ざす必要はありません。
今回の瞑想での誘導では、癒しを必要とされる有縁無縁の御魂をここにお迎えし、彼らの最も深い痛みのレベルに寄り添い、命を導いていきました。
誘導しながら、暗く淀み、あるいは途切れ、機能していなかった無数のネットワークが光り輝きながら復活していくのが見えていました。それは本当にきれいで、そのエネルギーが私自身の身体でもビリビリするほど感じられました。
誰からも弔われず、孤立してしまっている御魂も、私たちと同じようにかつては様々な気持ちを抱きながら人生を生きていました。
彼らの人生に敬意を表しながら、「あなたがそこに居ることに気づいています。そして今、私はあなたとともに居ます」と寄り添って在るだけで、浮かばれることもあるのです。
そうして次々と断ち切られていたネットワークが復活していくと、もう視界は光の祭典のようでした。誘導させていただいて、本当に有り難く感じましたし、素晴らしいものを見せていただいたと嬉しくも感じました。
先祖の因縁とか、浮かばれない魂とか聞くと、どうしてもおどろおどろしくて恐いもの、触れてはいけないものというイメージが先行しがちです。もちろん、安易に触れない方が良いケースもあるでしょうが、本当はそこに、今を生きる私たち自身が幸せになっていくカギがあることも多いのです。
瞑想会では、大体20~40分位の瞑想を3回に分けて誘導して行くことが多いのですが、その中でふと、「私はこの私のままでいいんだな」と素直に感じられた瞬間がありました。今までは頭で分かっていても、どうしてもストン!とそれが入って行かなかったのですが、そのときは自然に肚に落ちた感じです。
これまでは、自分以上の何かになろうとして無理を重ねたり、理想の状態になっていない自分に罪悪感を感じていたりしました。けれど、そうであっても実際は様々に助けられていたり与えられていたりしていて、守られ、支えてもらっています。
私はただ、宇宙から与えられるものを素直に受け取って、喜んでいればよかったんだ。そんな自分を責める必要などどこにもなかったんだ、とやっと気づくことができました。
今の私に必要なものは、既に与えられていたんですね。ラマナ・マハルシが「恩寵の海の中を泳いでいて喉が渇いたという魚の様だ」といった言葉が思い出されました。
そうしてその翌日、とある場所で行われたサットサンに参加してきたのですが、会の最後に小さな赤ちゃんのお食い初めの儀式がありました。赤ちゃんが初めて離乳食を食べる儀式で、聖者やグル(師)などから祝福を受けるのですが、それを見ていてふと、私自身の過去世が浮かんできました。
「あ、私も昔、両親に連れられてこれをやってもらったことがある」そんな確信とともに、「この子が生涯、食べることに困らないように」というグルや両親の深い愛が伝わってきました。
そして、確かに口に含ませられた食べ物とともに、霊の命が身体の中に入って行ったのを感じたのです。その愛に、心震わせられるものがありました。
祝福してくださったグルとのご縁と、祝福を受けに行ってくれた両親のもとに生まれた幸福に、感謝の思いが溢れてきました。
私は以前から、様々なタイミングで別々の方から「あなたは食べるのには困らないよ」と言われたことがあったのですが、自分ではあまり実感していませんでした。けれど、確かに今のところ食べるには困っていません。(金運は別ですけれど(^^;)
ただ今回、その理由がここにあったのだと分かりました。グルの恩寵と両親の愛が、人生を越えて私の中で生きていたのですね。
これまで随分と愛を受け取ることに取り組んできてもなかなか開かなかった部分が、ここにきて大きく開いていっているのを感じます。
エネルギーが変わったせいか、物がなくなったり壊れたりということが立て続けに起こっていますが、新しい自分にふさわしいものへの衣替えということなのかもしれません。
そんなこんなで節目感満載の満月でした。