人生で、本当に途方に暮れてどうしたらいいか分からない時って、誰にでも一度や二度はあるでしょう。頭では色々と分かっているけれど、どうしてもネガティブスパイラルにはまってしまってやることなすこと裏目に出てしまうのが修正できないとか。
そういうときは大抵、「どうしたらいいんだろう?」とグルグルと頭で思考が駆け巡っていて、心と体と魂がバラバラになっています。
頭では身体に戻って来なくてはいけないのは分かっていても、目の前の状況があまりに深刻に見えてしまって、とにかく何か行動しなくては!と感情をぐっと押さえつけて行動することにフォーカスしてしまっています。
こうして起こした行動は始めから不協和音のバイブレーションを持っていますから、行動してもしても空回りするばかりでしょう。
ここはひとつぐっと肚を据えて、バタバタと心と体が分離したまま走り出す前に、身体の中で荒れ狂っている逃げ出したいような感情のエネルギーを迎えに行きましょう。
多くの方は、この感情を受け止めることが破滅的に思えて逃げ回っているのですが、そうこうしている内に状況の方が破滅的になっていくものです。逃げずに受け止めた方が、ずっと楽になります。
そしてあなたのその取り組みは、今のこの自分だけではなく、実は無数の過去世や未来世、先祖や子孫にまで影響を及ぼします。お子さんのいない方でも、見えないところでつながっている様々な存在に、確かに影響を当てるのです。
だから、自分一人、孤軍奮闘していると思うのではなく、無限の広がりを持ったネットワークの中の一点に立っているあなたの取り組みが、想像を越えた領域に広がっている、とを感じながらされると、自分だけを意識してやるときとは違った何かを感じるかもしれません。
一方で、そう思わずにワークしていても、自然にそれを感じさせられることもよくあります。
先日、不安や焦燥感というテーマに向き合って見たのですが、ここしばらくは様々な出来事の中で、この感情がかつてない程に繰り返し大きく噴き出してきていました。
少しずつ取り組んでいたり飲み込まれたりしながらもがいていたのですが、あるときいつもワークする場所ではなく、何となく別の場所に座りたくなってじっとそこで湧き上がる不安や焦燥感を感じてみました。
すると、「あ、この感情は父だ!」ということにハッと気づいたのです。図らずも、座っていたのは亡き父が生前、仕事に行く前によく座っていた場所でした。
そうか。父はこんな感情を抱きながら日々仕事をして、家族を養っていたんだな。と初めて知りました。ネガティブスパイラルにはまりながら、この状況をどうしていいか分からずに日々重圧と戦っていたのでしょう。
自分の中に父の感情が生きていることに、深い感慨を思えると同時に、生前は全くそんなことなど意にも介さず、労わりの言葉もかけたことは無かったことに、申し訳なさを感じました。
じっとビジョンの中に見える父を感じて行くと、意識は自然に父の魂の旅路の中に入っていきました。父は、武士として生きた人生があったようです。だから今世でも剣道に打ち込んでいたのね、と納得でした。
そこそこの家だったようですが、だんだんと没落していく中で、焦りと不安と様々な思いがないまぜになった感情を持て余していました。
その武士の感情をじっと自分の身体で受け止めながら、深く呼吸をして行きました。ビジョンの中で、私は彼に「あなたとともに居ます」と伝えると、どっと抑えていた感情が溢れてきました。
しばらく彼とともにいてその感情を感じ、受け止めていると、大分落ち着いてきました。彼も、現状を受け止めてやるべきことをやっているようでした。
ワークしながらまさか父の過去世に行くとは思いませんでしたが、こういうこともまったく無いわけではありません。まぁどんな立場の誰が出てこようと、結局のところそれは自分なので、出てくるがままに受け止めていけばちゃんと解放は起きます。
ワーク後は、あれほど荒れ狂っていた焦燥感や不安は収まっています。残っていたとしても、また同じようにしっかり身体に居て感情に向き合えばいいだけです。
様々なヒーリングがある中で、家系の影響を否定する見方もありますが、私の実感ではそれを無視することはできないように思います。
私たちは自身の魂の記憶という横糸と、肉体の血のつながりである家系という横糸の双方の影響を確実に受けている、というのが私の見方です。
ワークの中では、どちらかな~?と考えなくても、じっと感じていれば感情のエネルギー自身が導いてくれます。感じたこと、見えたことを否定しないで、常識や思い込みから外れていても、在るがままに聴いて応答していきましょう。
時空を超えて、その時代を懸命に生きた方との対話は、今この人生を生きる私たちに深い気付きを与えてくれます。
私たちと同じように、ご先祖様たちも様々な体験をしながらたくさんの感情を生きていました。最初に出てくるのは感情のわだかまりでしょうが、それが融けたとき、その方の人生に深く敬意と感謝の思いが湧いてきます。
どうぞ愛に満ちたご先祖様たちとの対話となりますように。