昨日は憎しみの解放の第2ステップまでをお話しました。自分の気持ちを受け止めたら相手の意識の中に入ってみて、相手が感じている様々な感情を受け止めていくまでのプロセスがありました。今日はその続きです。
その人が感じている感情をある程度受け止められた状態で、その人の視点からあなたを見てみると、以前ほど動揺や抵抗もなくあなたを見ることができるようになっているでしょう。
この状態で初めて、その人はあなたの苦しみを直視できるようになります。自分の感情を受け止められない状態では、絶対にそれはできません。辛すぎて、逃げてしまうのですね。
あなたの苦しみを見られる状態になったら、しかとそれを直視して、その人の中に浮上する感情をさらに受け止めていきます。
ときに、そんなものを直視してしまったら自分が押しつぶされてしまう!などという気持ちが出てきて、とても直視できない時は、その押しつぶされてしまいそうな感覚を身体の中で捉えて、ここに命の呼吸を送ってあげます。
するとこの苦しい感覚も弛んでくるので、その状態で改めて直面してみると、以前ほどの圧迫感なく受け止められるようになっているでしょう。
感情を本当に受け止められているのかどうかは、身体から意識が抜けていないかどうかを注意深く確認しながら進めてください。受け止められているのであれば、気持も体感覚も、刻々と変化していきます。
あなたの苦しみを直視した時に浮上した諸々の感情をしっかり受け止められたら、そのとき、あなたに対して、その人は何かしなければならないようなことがあるでしょうか?
大抵はこの段階で「謝りたい」という気持ちが起こってきます。その気持ちは心の底から湧いてくるもので、形ばかりのものではありません。「大変なことをしてしまった。本当に申し訳なかった」という深い懺悔の気持ちなのです。
このような気持ちになったら、その人からあなたに謝罪をします。意識はその人に入ったままです。(意識の上では自分に対して謝っているというような形になります)
ここまで来たら、意識をあなた自身に戻します。そして、相手の謝罪がすんなりと受け入れられるかどうかをじっと感じてみてください。
受け入れられれば、和解成立になりますし、まだ相手はあなたの苦しみが分かっていないようだと感じられれば、あなたは謝罪を素直に受け入れることはできないでしょう。その場合は、相手はあなたの何を分かっていないのか、そのことを相手に再び伝えます。
そして、相手の中に意識を移動させて、指摘された部分について、さらにしっかり直面できているかどうかをチェックします。指摘されたということは逃げているということなので、もしこれを受け止めたとしたら、何か耐え難いものがあると恐れているということになります。
その耐え難いものとは何か、息が詰まるような感覚や肩にドンと重荷がのせられる感じがあるかもしれません。そうした感覚を身体で捉え、再びそこに命の呼吸を送っていきます。
これを受け止めるのが嫌だったから、この人は直面することから逃げたわけです。だから、これをしかと受け止めてしまえば、必ず直面することができるようになります。
こうして状態が整ったら、その人からあなたを見て、指摘された部分を直視します。ここまでがしっかりできていれば、多分すんなりと見ることができて、受け止められるでしょう。
その状態で、再びあなたにかける言葉があるかどうか、確かめ、それを伝えます。
伝えたら意識をあなたに戻し、相手の謝罪が受け止めらるかどうかを確かめます。これを最終的に謝罪が受け止められるまで繰り返し、あなたの中で相手へのわだかまりが融け、相手は二度とこのようなことはしないだろうという確信に変わった時、あなたは自然に相手を赦せるようになっているでしょう。
赦しは、やろうやろうと思ってできるようなものではないというのは、こういうことです。
決して自分に嘘をついて収めてはいけません。それは自分への裏切りであり、また別の形であなたが自身にしたように、人からもされるような現実を引き寄せてくるでしょう。
相手の心情もまた自身の鏡だとするならば、相手が逃げたようにあなたもまた逃げているのであり、自分が責任を取れていない姿を、相手は忠実に映して見せてくれているわけです。
相手の意識に入って受け止めたものは、まぎれもなくあなた自身のものであり、あなたが逃げているからこそ、相手が赦せないのです。
あなたが受け止められないものを相手にだけさせようとしているところに和解は訪れません。よくよく心に留め、赦しの本質を体感なさってみてください。一瞬にして訪れる恨みの消失と平安を体験されるでしょう。