ものごとには「為すべき時」があると最近つくづく思うのですが、時を逃さず為すべきことを為すべき時にやれば、最小の労力でスムーズに進めることができます。けれど、タイミングでない時にそれをやろうとすると、同じことをするのにもずっと多くの労力を使った割には、結果はさほどでもなかったりします。
これは小さなことから大きなことにまで言えることですが、たとえば、日常の流れの中でふと「あ、そうだあれもやっておかなくちゃ!」と思ってすぐにそれを実行するのと、「今は忙しいから後で!」とやってしまったとき、結果から見れば前者の方が後者よりも、ささっと簡単スムーズに済ませられるはずです。
タイミングを逃すと、そのことを忘れてしまって結局別の労力がかかってしまうこともあるでしょう。今この瞬間にふと思い浮かぶことというのは、それなりに意味のあることなのだと思います。
ただ、「これをやろう!」と思ったことでも、「ふと思い浮かんだ」というのと、頭でいろいろ考えたところから「これをすべきだからやらなくちゃ」と思うことでは全く意味合いが違います。
後者の場合は、ものごとの自然な流れとは違ったところが行動の動機になっているので、よくよく注意して識別する必要があるでしょう。
とは言え、「感じる」よりも「考える」癖のついている私たちは、自分の行動の動機が思考から来ているのか、インスピレーションなど、人生を導く大きな力からやってきているのか、なかなか区別がつきにくいものかもしれません。
自分では「やりたいからやっているのだ」と思っていたとしても、それは自分の気持ちが本当にやりたいからやっているのではなく、様々な条件から考えてそうすべきだと思うから、やりたいのだと「思っている」こともあります。
それが当たり前になっていて、自分でも何の疑いもなくそうだと信じていると、「それは本心から来ているものではない」と指摘されたとしても、ピンと来ないでしょう。
そんな状態は、かなり感情的にもあらゆる面で抑圧が強くかかっているだろうと思います。この状態から本当に自分が「感じていること」を取り戻していくには、それなりのプロセスがあるだろうと思います。
というのは、自分の頭で考えた「こうすればこうなるはず。だから私はこうするべきなんだ」という信念から外れるような気持ちが出てきて、これまでとは違った世界観に触れたとき、その人の心の中には多かれ少なかれ、混乱が起きます。
これを受け止めながら、これまで自分が強固に作り上げてきた信念が少しずつ崩れていくプロセスを通過していくことによって、自身の本心がやっと息を吹き返していくのですが、これに恐怖を感じることもあるでしょう。
これを越えていくには、やはりその人の中で「それでも私はこれ以上この状態でいるわけにはいかない!」という強い必然性があるかどうかがカギになってきます。それが弱いと、「そこまでしてこんな恐ろしい道を行かなくてもいいじゃないか。今だってそれほど悪くはないし」と来た道を引き返していくことになるでしょう。
ここでも、私たちには「見知らぬ天国よりも慣れ親しんだ地獄を選ぶ」慣性の法則が働いているのです。
いずれにせよ、ものごとにはタイミングがあり、道を引き返す時もあれば勇気をもって一歩を踏み出す時もあるわけです。どちらであっても選択自体にに良し悪しはなく、ただ何らかの結果があるのみ。自身の選択の結果を引き受けて、歩みは続いていきます。
けれど、その結果を引き受けることができないとき、私たちは後悔や罪悪感、失望に苛まれ、あるいはそもそも選択ができないまま、動けずにずるずると時を逃し続けていくこともあります。
こうした状態の処方箋は、結果を引き受ける恐れや痛みを受け止めていくことです。
これをすることで、混乱と痛みに満ち、地に足が着いておらず我を見失った状態から、地に足を付けて自分の居るべきところに戻ってくることができます。
ここから、自身の本心・真実に触れていくことができるようになっていくのですが、そうなると次第に深いレベルからやって来る導きに気づき、応答するようになっていくので、為すべき時に為すべきことを、在るべき場所で為せるようになっていくのです。
私たちは普段、どれほど頭で考えたスケジュールをこなすことに必死になって、深いところからやって来る導きをスルーしているでしょうか。
リラックスして今この瞬間に居て、ふと「やろう!」と思ったことを素直に実行していくことで、人生の流れは生き生きと心地よいものになっていきます。
そうは言ってもなかなか。。。との言い分も良く分かりますが、この在り方を実践するには、「なかなかできない」と言っているその在り方の、何かを捨てていかなくてはならないのかもしれません。
それはちょっとした心がけで済むものなのか、ものすごく勇気の要る決断をしなければならないのか、人それぞれでしょうが、あなたにとってその選択は、長い目で見てプラスなのかマイナスなのか。
しばしの間、考えてみてもいいのではないでしょうか。