プレゼンスって、ドツボにはまると私はなかなか入れなくなってしまうときがあるのですが、もがけばもがくほど訳が分からなくなって「私には無理なんだ~~~!」とかってなるんですよね。その状態からようやく戻って来られたので、戻れたきっかけを書いておこうと思います。
私の傾向として、何でも根詰めて考え、頑張りすぎるというのがあるのですが、これが良い方に働く時もあれば、その反対に働くときもあります。
多くの人はこういう状態になった時の自分のリセット方法を持ってたりするのですが、私はそういうのが下手で、今だにこれといった方法に出会っていませんでした。やっても、すぐに戻っちゃうんですよね。
だからいつも張りつめてることが多いです。
自分でも気づいてはいるのですが、どうしてそうなってしまうのか、ちょっとだけ分かったことがありました。それは、私の行動の選択基準から来ているようでした。
それは、「これは自分のこれからに役に立つのかどうか?」という基準で行動しているということでした。ビジネスなんかではこういう考え方が普通だし必要なものかもしれませんが、人生のほとんどのことをこれで決めていくとなると、大切なものが抜け落ちていきます。
深いところから「これがやりたい!」と湧き出てくるような情熱も、様々な瞬間をただ楽しむという感覚もなくなっていくのです。
以前、ワークショップの参加者の方とお話をしていて、周囲から期待されている自分になるために必要なことが自分のやりたいことだと信じ込んでいる姿を拝見することがりました。
必要なことと、深いところからのニーズは違うということに気づいていくことも拒絶されているのかな、と感じたのですが、さまにそれは、私自身だったのだなとやっと気づきました。
何を学ぶにも、何をするにも「今後のためになるのか?自分に得か?」とどこかで計算しながら決めるパターンは、食べるものや洗剤や身につけるもの、瞑想などにも及んでいて、自分では無意識だったので、結構衝撃を受けました。
特に食べるものなどは身体の声を聞きながら決めていた「つもり」だったので、そうでない時もある、というか、そうでないことがかなりあるという気付きは、いかに自分が無意識に生きているかをまざまざと見せられました。
マインドで自分の人生をコントロールして改善して行こうとしていたわけですね。そこに気づいたので、「改善して行こう」とすることをまず止めました。
「改善しなくちゃいけない」という思考は焦りと不安をかき立て、「今ここ」から意識を追い立ててしまいます。だから、どんなに今この瞬間が気に入らなくても、「これでいいのだ」といったん受け入れてみる。
ザワザワする気持ちも湧き上がってくるでしょうが、それもそのまま感じています。必要だからと自分にやらせていたこと、やりたくないことをやめてこうしていると、ザワザワ感とは違った意識の層で、プレゼンスのあの懐かしいような感覚がジワジワと滲み出てきました。
後はゆっくりプレゼンスの層の方に意識をシフトさせていくと、混乱していた気持ちが落ち着いていきました。
以前は、感情を受け止めても根本的に「これでいいのだ」とは思っておらず、相変わらず自分にやりたくないことをさせ続けていたので、プレゼンスに戻って来られなかったのかも、と思いました。
赤塚不二夫先生の「天才バカボン」って、あまり好きなマンガじゃなかったのですが、人生の神髄を言い表したすごいフレーズだったんですね。(若い世代の方はご存じないかもしれませんね)
私には、プレゼンスの感覚は子供の頃に感じていた懐かしい感じがあって、それに触れるととても安心し、生き返ったような感じがします。本当に自分の中に息づく命を感じられて、正気に返ったとさえ思います。
人生は今この瞬間しかない、ということの、何と言う身軽さ。神聖さ。美しさ。
で、これが何になるの?ここからどうするの?と問うた途端にプレゼンスから外れてしまうのがいつものパターンで、プレゼンスすらも「どう役に立てるのか?」という枠組みの中でしか見られなかったから、これまでうまくいかなかったのですね。
プレゼンスは、利用することはできません。神を利用することができないように。
確かにプレゼンスに在れば、結果的に人生は導かれて行くでしょうけれど、それをツールやメソッドにすることはできないんですね。
この辺り、何度も聞いてきた言葉だけれど、やっと腑に落ちた気がしました。