なんだか大いに揺さぶられる日々を過ごしている今日この頃です。そういうときほど、バランスを取らなくっちゃ!とどこか踏ん張ってしまうもので、それが良いとか悪いとかではないのですが、そうすることで起ころうとしている変容を押さえてしまうこともあるのかな、という感覚がありました。
そのことに気づいた最初のきっかけは、ある方と話をしていたときのこと。その方は「やらなくちゃいけないのは分かっているけれど、どうしてもできない」ということをお話されていたので、その方が避けているポイントに意識を向けたときにどういう反応が起こるか、と質問をしてみました。
すると、微妙にあいまいにポイントをそらしていくような印象の応答が返ってきました。
その方も無意識だったとは思いますが、私たちは、「そこを突かれてはマズイ!」というところに意識の矛先が向かっていくのには、敏感に警戒して突かせないようにするのですよね。
もしそこを突かれてしまったら、これまで必死に保ってきた様々な自分の在り様のバランスが一気に崩れてしまうのが分かっているからです。そうなってしまっては、もはやこれまでの自分としてはいられません。それはアイデンティティの最大の危機と捉えられます。
けれど、本当はそのバランスこそが生きにくさの原因だったりするわけで、これを崩していくことが、新たな自分が再構築されて行く上では、不可欠のプロセスだったりするのです。
ここに対して本当に「Yes!」と言えないと、「分かってはいるけれど、でもできない」というところで延々と抵抗を続けていくことになります。
正気を保っていなければとか、ここで崩れ落ちてしまうわけにはいかない!と踏ん張らなければいけない状況も確かにあるでしょうが、かつてそうだったときの在り方のプログラミングが、解除されないまま何十年も稼働し続けているというのはよくあることです。
今この瞬間もそれがまだ必要かどうか、気づいて棚卸作業をするタイミングがあるだろうと思います。そのタイミングというのは、人生の生き辛さに息が詰まった時!です。
私自身もここ最近の揺さぶりで、鏡となってくださった方から気づきを得たりして、確かに自分を保とうとするあまりに脱皮できないカニかエビみたいに硬直してしまっているものを感じていました。
そこで、自分の内側から起ころうとしているエネルギーの視点に意識を移動させてみて、それを受け止めるべき自分がどんなスタンスでいるのかを確認してみました。
すると、ちっとも視線が合っていなかったり距離が遠かったりしたので、きちんと受け止めていく状態に調整していきました。
この状態でエネルギーが起こっていきたいように起こさせていくと、確かにこの感じはいつもの自分だったら絶対に止めてしまうだろうな、というようなエネルギーの動きがたくさん起こって行きました。
これは意識して受け止めていかないと無理だったなぁ。。。と思いながら観察していたのですが、だからと言って、決して今の自分のキャパを超えるような変化でもなく、起こさせてしまえばちゃんと受け止めて行けるものであるというのもまた面白いところです。
無意識でいると、もう既にブロックしておかなくても大丈夫になっているものも、いつまでもブロックしておかなければ!と頑張ってしまうのですね。
奥深いところから起こって来るものの視点から見ると、今の私はどうにか頭で体系立ててものごとを変えていきたいと思っているようですが、そのエネルギーはそういう枠組みにはまったくあてはまらない、全く違った原理で動いていくもののようです。
ということは、もしこの新たなエネルギーに人生を委ねていこうと思うのなら、全く理解の範疇を超えたものを生きていくことになります。このあたりで既に私の頭は混乱していて、「まぁそういうことらしいけれど、できるの?私に?」となっています。(^^;
とりあえず、このときは起こるがままに任せてエネルギーにしたいようにさせていたところ、胸や背中や頭などからエネルギーが伸びて行って、もはや人間の形をなしていない状態になっていきました。
一体自分が何になろうとしているのかさっぱりわかりませんが、これまで一生懸命人間になろうと努力してきたのに、みんな無駄だったわね~、という良く分からない感慨が湧いてきました。
メタモルフォーゼ(metamorphose)がどう落ち着いていくのか、ちょっと書いていることが支離滅裂になってきていますが、起こっていることをそのままに、記録しておきます。
やれやれ。。。