日々、自分自身と向き合っていて、一体どれだけ「今この瞬間」に居られているだろうかと思うのですが、一方で様々なことについて思索や考察をするのも好きなので、それはそれで楽しむことにしようと開き直っている今日この頃です。
一方で、日常の中でプレゼンスに入れる時間を見つけたときは、ぐっと深く内なる静寂を感じるようにしています。ただ静寂が差し出すものを感じているだけでも、人生の様々なストーリーよりもドラマティックな言葉にできない諸々が、この私という意識を通り過ぎていきます。
内なる神は私に何を伝えようとしているのか、人間の頭で捉えようとしても、それはその理解をはるかに超えているようで、到底理解の及ぶところではありません。
ただ意識に起こっていることを通過させているときは、宇宙空間をものすごいスピードで駆け抜けているようでもあり、また強い砂嵐の中に居るような感じにも似ています。
その中で、何の期待も意図も持たず、知りたいと前のめりになることもないように注意しながら、じっとそれを観察し続けています。
そんな体験を持ちながら、人間としてこの世界を生きている自身の現実に向き合うとき、浮上して来る様々な感情にも妙にてこずるときもあります。
どんなにあるがままに受け入れようとしても、心のどこかで「こんなのは嫌だ。もっと違うのが良い!」と駄々をこねる自分がいることに気づくのです。
随分、恐れやその奥にある痛みの感情を抱きしめ、統合してきたつもりでも、そういう自分が出てくるものなだぁと、半ば途方に暮れそうになったりもしたのですが、「これもまた自分」と認めたとき、「こんな自分はいてはいけない、すべて受け入れなければ!」と、駄々をこねている自分の姿がそこに重なりました。
まるで合わせ鏡のように、どこまでも続くものなのですね。気づいた瞬間、駄々をこねる自分は弛んでいました。
そしてまた、時間に関する気づきもありました。
私たちは通常、時間は過去から未来へと流れていくと考えています。けれど、「カタカムナ」などの考え方では、時間は未来から過去へと流れていくと捉えられています。
カタカムナというのは、1万2000年以上前に日本に存在していたと言われる高度に発達した文明で、カタカムナ文字で表された古文書を解読したところ、驚くべき宇宙観が隠されていたことが研究者によって明らかにされました。
詳細はここでは語りませんが、時間が未来から過去へと流れていくと考えると、何だかとてもすっきりと腑に落ちるものがあって、やって来るものに逆らわずに、よりリラックスして今を受け止められるような気がしました。
プレゼンスの教えからはちょっと別のレベルの話になってしまいますが、過去から未来へ流れていく時間の重さに耐えかねていたので、カタカムナの時間の観念を知った時、とても楽になったのです。
そう言えば、私はヒーラーになるずっと前から、未来に起こることの気配が何となく感じられることがあって、理屈云々を通り越して、「あ、こうなるんだな」とはっきりと分かることがありました。
たとえば、大卒ですぐに就職した会社で営業をしていた時、ある取引先に見積もりを持って行ったところ、競合する他社の中で決して通るはずのない金額だったにもかかわらず、なぜかこれが通ることが分かってしまいました。
自分でも不思議に思いながら、一体どういう経緯でこれが採用されるのか全く分からなかったのですが、やがてそれが明らかになります。ある事件が起こったことで、結果的に、私の会社の見積もりが採用されることになったのです。
その結果を知らされた時、「そういうことだったんだ」とやっと理解できたのですが、あの時私は未来から流れてくる時間の気配を受け取っていたのかもしれません。
時間は、絶え間なく滝のように未来から過去へと通過していきます。けれど私たちは過去から未来へと流れていくと信じているので、しばしばその流れを受け止めかねて、恐怖の中で身を固めつつ時間も止めてしまうのです。
そして、もう自分の時間は終わりだ!と信じてしまいます。
けれど、時間は絶え間なく未来から流れ続けます。決して終わることはありません。それは永遠に流れていく宇宙の摂理です。どうしてその流れに私たちが逆らえましょう。
自分で未来を拓かなくても、未来はやって来るのです。私たちは、ただリラックスしてそれを受け取ればいい。
そう考えたら、とても楽になりました。そのように未来を捉えたことで、安心して今この瞬間により深く居られるようになりました。
流れてくる未来の源に何があるのか、それは静寂の中で体験したあの計り知れない何かと通じるものが感じられるのですが、過去から未来に時間が流れていくと捉えていると、どうしても不足だらけの自分の枠を越えるのは難しくなってしまいます。けれど逆の時間の流れを考えたとき、自分の制限を外していくのがとても楽になるんですね。
今日は良い発見をした!とすっきりした思索でした。