一昨日は満月の瞑想会だったのですが、ウエサク満月だったので、世界中の各地でこの日に平和の祈りの儀式やイベントなどがされていたと思います。サロンの瞑想会でも、そうしたグループの意識のグリッドにつながって、大きなエネルギーを感じることができました。
こんなにも温かで力づよく、美しいエネルギーのグリッドが地球を包み、この星の生きとし生けるもの全ての調和と平安を支えているのを感じるのは、私自身や参加された方にとっても、とても安らかなひと時でした。
ヒーラーになりたての頃はよく、地球のヒーリングなどをやっていましたが、最近はとんとご無沙汰でしたので、改めて意識を向けていこうと思いました。
そんなことを考えつつ日々の生活に戻ってきたのですが、現実には依然としてあれやこれやでしんどいことがあったりします。大きな世界に意識を向ける一方で、やっぱり目の前の現実は現実として在るのですね。
で、その気の重い現実で浮上する感情によって、過去の後悔や未来への不安がかき立てられてザワザワして仕方がなかったので、少し時間を取ってワークしてみることにしました。
1つは、昨年から新たに始めた習い事の先生への不満でした。どうにもこの先生が信頼できなくて、今自分がうまくいかないのは先生の指導が酷いからだとか、先生を責める考えが嫌でも湧き上がって来て止まりませんでした。
それほど、一生懸命やっているのに全く成果が上がらないことへの怒りや悲しみがあって、そのはけ口が先生になっているのでした。
そこで、面と向かっては決して言えない不平不満を、イメージワークの中で先生を呼んで来て、思う存分ぶつけてみました。取り敢えず、きれいごとで頭を納得させるのは止めて、心の奥底で渦巻いている言葉をとにかく吐き出していきます。
普通だったら「言うべきではない、そんな風に考えてはいけない」と思って止めてしまようなことも、吐き出すことを自分に許していくと、無意識に沈んでいて自分でもはっきりとは気づかなかったけれど、確かに私はそう思っていた、という思いがたくさん出てきました。
それと同時に、その思いに貼りついていた怒りや憎しみの感情もあらわになってきます。怒りがあることには気づいていましたが、憎しみがあることには自分でも気づいていませんでした。そうか、私は先生を憎み、恨んでいたのだな、と気づけたことで、心が少し楽になりました。
私たちはよく、自分の気持ちを隠すということをします。本心が相手に知られてしまったら、自分が愛されないとか見捨てられてしまうなどといった、都合の悪いことが起こってしまうかもしれないと思うと、私たちは自分の本当の気持ちを相手にも、自分からも隠して無かったことにします。
けれど、こうして隠してきた気持ちは、無意識の底で分離を産み、自分自身を苦しめます。自身の真実の気持ちに気づくということは、癒しの第一歩であり、本当の自身を取り戻すことへのスタートになります。
だから、自身の内側に見つけた感情がたとえ憎しみや恨み、怒りや嫉妬などといったドロドロとしたネガティブなものであったとしても、気づけたことで楽になるのです。
それは、心に刺さったトゲが抜けていくような感覚に例えられるでしょうか。
そうしてまず本音を吐き出したら、改めて相手の表情を見たり、印象がどう変わったかを確かめます。イメージの中の先生は、多少「悪かったな」と思って下さっているようで、以前よりは歩み寄って来てくれるようにも感じられました。今まではそれが全くなかったんですね。
さらに気づいたのは、私自身が先生をよく見ていなかったということです。先生に「私を理解しようと寄り添ってくれない」と不平不満を抱くけれど、私も先生を理解しようとはまったくしていませんでした。それどころか、見てさえもいませんでした。
向き合う相手を深くよく見るというのは人間関係を構築する上での最も大切なベースとなる部分ですが、ここができていない状態で互いに自分の意見を通すことに躍起になっていると、永遠に平行線をたどることになります。
相手を見ることで相手を知ることができますし、同時に、その時に浮上する自身の内側の感情にもよく注意を払って観察します。
かねてより私は先生を、あまりに波長が違い過ぎてさっぱり理解できない、と思っていたので、かなり早い段階から相手を知る努力を諦めてしまったのです。
分からないけれど、分からないなりにそれでもじっと見つめ続けていくと、理解不能な壁のように立ちはだかっていた先生も、壁は壁なりに微妙な揺らぎがあることが感じられました。
その壁に向き合いながら、今は自分の中に浮上する憎しみをじっと受け止めています。前回も私は神に対する憎しみを隠していましたが、今回再び浮上したのも憎しみだったので、このテーマは私の中で結構深く在るのだな、と改めて自覚した次第です。
大嫌いな人ではあるけれど、そうであるほどに私にとって重要なメッセージを差し出してくれるこの人との出会いに、感謝しつつ、じっくり取り組んでいきたいと思います。