よく、直感で選ぶとか、ハートで感じるとか、特にスピリチュアルな世界では言われますが、「でも良く分からない」と言われる方も多いようです。
実際、それができるためには自分自身としっかりつながっていなければならないのですが、自分の気持や本心を抑圧していると、直感もハートの声も聞こえないように塞がれてしまいますから、それを感じようとしても、物理的に難しい状態になってしまいます。
けれど、だからこそハートの声を聞いたり、直感が受け取れる状態になるよう意識を向けることが大切です。
なぜなら、それらは真実を伝えているからです。頭で考えることは、いくらでも捻じ曲げることができますが、ハートの声や直感はかき消してすり替えることはできても、それ自体を捻じ曲げることができません。
そして、それらは私たちの存在の最も深いところからやって来て、自身の人生を導いていく大切な羅針盤になるものなので、これなくして人生を有意義に生きていくことはほぼ不可能でしょう。
だからこそ、それがうまく使えないという自覚があるのなら、使えるように磨いていく意識を持つことです。
そして直感やハートの声は、それを受け取るだけではなく、それに正しく応えていくという部分も不可欠です。せっかく導きを受け取ったのに、それを思考で捻じ曲げて従わなかったり行動しなかったりしたら、意味がありません。
私自身もそんな失敗をしたことが何度もあります。直感では明らかに「No」だったのに、綺麗で見てくれの良い期待を誘う言葉で導きを覆して行動してしまったために、痛い目に遭ったこともありますし、世間的な義務を果たさなければならないという理屈で自分に無理を強いた結果、体調を崩してしまったこともあります。
そんな失敗を繰り返して、最近ようやく「直観に従う」ことができるようになりました。
最近も、ものすごく条件は良さそうに見えるけれど直感は絶対に「No」と言っている話をスルーしたのですが、それがトラブっているという知らせをつい先日聞いたばかりです。
その時はとても悩んだけれど、直感がゴーサインを出さない話は後で必ず何かしら心にしこりを残すようなことになるのは分かっているので、そのことを深く自分に言い聞かせて「直感に従うこと」ができた自分を、褒めてあげたい気持ちでした。
こんな風に直感に従おうとしても、最初ははっきりと内なる声が聞こえないこともあるでしょう。頭で考えていることと内なる声の違いが区別できなかったり、これだ!と思ったインスピレーションが外れていてガッカリ、ということもあるかもしれません。
それでも、諦めずになぜ外れてしまったのか。そこに本当の内なる声をかき消した、どんな要素があったのかを振り返ってみてください。「そう言えば違和感があったんだよな」などと、必ず何かしらの気づきがあると思います。
その感覚を、次回に活かしていきましょう。
大抵、直感を捻じ曲げて行動してしまうのには、恐れが関わっています。もし大きなチャンスを逃したら、自分だけ損をするかもしれないとか、これをしなかったら大切なものを失ってしまうとか。
内なる声は絶えず私たちを導くメッセージを送り続けていますが、こうした恐れがあると、「直観に従ったら、思うような行動がとれなくなってしまう!」と考えるので、敢えて直感を聞かないようにするわけです。
時に導きは、頭で考える行動を実行するには、邪魔になることがあるのですね。
決して良い結果にならないと分かっているはずなのに、恐れは忠告を振り切って目先の甘い誘惑に私たちを駆り立てます。これがいわゆる「心の隙」というやつですが、直感に従えなかったときに浮上しているものを知ることは、自分が足を取られやすい弱点を知ることにもなるので、ぜひ取り組んでみることをお勧めします。
恐れに理性で立ち向かうのは、なかなかに難しいことです。そもそもエネルギーのケタがまったく違いますから、負けるのは決まって理性の方です。だから、意志の力を強くするよりも恐れのエネルギーにしっかり対処する方が、現実的だと思います。
恐れにしっかり向き合えるだけの意識の使い方ができれば、意志のエネルギーも鍛えられていきますし、恐れのエネルギーのボリュームも少なくなっていくので、その両方から「直観に従う」という軸が支えられるようになります。
いずれにせよ、自分に向き合う作業を誠実に、着実にやって行けば、自然と直感は鋭くなっていきます。それは何も特別なことなのではなく、それこそが本来の私たちの自然な在り方です。
直感を受け取れない状態は、不自然に感覚を遮断していたり歪ませているわけなので、これを本来の姿に戻していくだけなのです。
直感は、私たちが聞きたいことばかりを伝えてくるわけではありません。自分に「都合が良いこと」も「悪いこと」も、同じように受け取れる姿勢を整えていきましょう。