私たちは、頭で考えることと心の底で思っていることがまったく違うことに自分で気づかないことがよくあります。正直に、深く内観すると、こうした矛盾を嫌というほど目にするものですが、何かしら前に進もうと思うとき、このことが上手く進めない大きな原因になっていることが少なくありません。
どんなに頭で前に進もうとアクセルをふかしても、心の深いところではそうしたくないと思っているのでぎゅーっとブレーキを踏んでいて、プラスとマイナスの大きなエネルギーがぶつかり合って相殺されているの状態になっています。すると、非常に疲れる割に、全く何も進まないということになります。
この状態を解消してスムーズに行きたい方向に行くには、いったんアクセルをふかすのを止め、ブレーキを踏んでいる理由をしっかりと聞くことが大切です。
ブレーキをかけているということは、その方向に行きたくないということです。なぜ行きたくないのか。もし進んでしまったら、どんなことが起こると信じていて、何を恐れているのでしょうか?ここを明らかにしていきます。
なぜ進まないのだ!とこういう状態を責めたて発破をかけても、そんなやり方では一歩たりとも前へ進むことはできないでしょう。
けれど、大抵の人はこれをやっていて、気合いでゴリ押ししようとか、できないのは自分の能力が足り無いせいだ、意志が弱いせいだと勘違いして、誤ったやり方で自分とケンカしながら頭で思い描く理想を自分に強要します。
けれど、本当は自分とケンカするのではなく、信頼関係を築いていく方がずっと楽に、調和して前へ進んでいくことができます。
そのためには、一刻も早く進みたいという焦りを落ち着かせて、一見、後退するかに思えるような段階を経ることです。これが、先ほど述べたアクセルをふかすのを止めて、ブレーキをかけている理由を明らかにするというプロセスです。
なぜ進みたくないのか。そこには必ず心の痛みを伴った過去の記憶が眠っています。その出来事は、今世かもしれないし、過去世から持ち越してきたものかもしれません。
いずれにせよ、「もし進んたら、こんなことが起こって来てそこできっと自分は辛い思いをするだろう。だから進みたくない」と思っている気持ちのカケラがいるのだということですね。
それはカケラ君のトラウマなのですが、これをきちんと癒してあげなければ、とても恐くてブレーキを踏むことを止めることなどできません。カケラ君は故無く意地悪でブレーキを踏んでいるわけではないのです。
一体何を経験して、どんな辛い思いをしたのか。わだかまっている感情のエネルギーをじっと辿りながら掘り下げていきます。
絶望や孤独、惨めさや心細さ、敗北感や屈辱など、様々な感情のエネルギーが埋もれているでしょう。自身と和解して統合した状態で人生を歩むには、これらに責任を持って対処することは不可欠な要素であるように私には思えます。
これまで、私は様々なヒーリングを実践してきましたが、こうしたものに触れずに向き合うこともしないまま、エネルギーを流して癒したつもりになって終わり、というようなことも随分やってきました。
けれど、今こうした感情解放のワークで自分に向き合うことからそのやり方を振り返ってみると、根本的に自分との対話もなく、信頼関係も築けず分離したまま、そして人生の深い気づきもそれによる変容もないという、実に不完全なものだったと思えます。
臭いものにはフタ、面倒なものはできるだけ触れずに素通りするのでは、決して得られない深い気づきと恩寵があります。ただ願いが叶えばいいというそれだけでは見えてこない、人生の壮大な計画や意図があるのです。
本当にそれに触れていこうとするとき、自身が最も逃げているものに向き合うことは、非常に重要なカギになります。
かといって、何でもかんでも面倒なものに首を突っ込めばいいとは言いませんが、こと自分との関係に関しては、お手軽簡単に済まそうとするやり方には、個人的には同意できないな、と思うのです。
確かに、一番触れるのが辛いところに向き合っていくのは勇気の要ることです。まだ逃げていたいと思ったり、他にもっと違うやり方があるだろうと思う内は、決して選ばない道だと思います。
自分の中でそれを選ぶ必然性が確かに無いのなら、口先だけの意志ではこの道は進んでいけません。なぜなら、この道を進めば進むほどに、逃げ道はなくなっていくからです。
それを恐いと思うか、自分が定まっていくと感じるか、あなたはどちらでしょうか。
逃げていたいと思うのなら、自分が何から逃げていたいのか、その正体を突き止めてみると、何か気づくことがあるかもしれません。自分の人生に常に影響を及ぼしてきたものが何なのか、そして今後もその影響を受けながら生きていくことを選ぶのか、選択する機会が得られます。
自分が本当にやりたいこと、命の願い、ミッション、何を大事にすべきで、何を手放すべきなのか。いつ何をどうすればいいのか。
これらはみな、本当に自分と和解した時に内側から自然に理解がやって来るものです。
自分とケンカしたまま、どうして自身の本当の願いが分かるでしょうか。
向き合うべきところに直面する勇気を求めましょう。