前回は自身のミッションに関するテーマでしたが、ぽつぽついただいているご感想では、いつも以上に何か気づきや体感があったという方もいらっしゃったようです。
きっと、ご自身の中で強くコミットメントされたが故の反応だったのでしょう。
「光の柱」として在るというのは、何も目に見える形でヒーローのような活躍をするばかりではありません。人知れず、地道な内的な活動の中で切り開いていく境地が、結果として「光の柱」になるケースもあるでしょう。
人間の目にはそうした活動は見えませんが、それが見える存在には、何よりも、そうした光は眩く輝いて見えているものです。昔の人はこういうのを「陰徳」と呼んだのでしょう。
誰にも知られず、ただ一人道を行く孤独に耐えることでのみ、身につく力も確かにあります。自身の内にいます神にまみえるときは、間に何者も存在するものはありませんし、そのパーソナルな聖域に入れるものはありません。ただ独り、一対一で神にまみえるのです。
その聖なるスペースに至るには、誰しも必ず孤独の洗礼を受けるでしょう。故に、孤独への恐怖が強い方は、少しずつそれを受け止めていくことを意識すると良いかもしれません。
四季に春夏秋冬あり、温かく過ごしやすい時ばかりではないように、人生にも楽しい時期もあれば、過酷な時期を通過するときがあります。
それがどんなタイミングでどのように来るのかは人それぞれの魂のプログラムによるのでしょうが、過酷な冬の過ごし方はとりわけ大切であろうと思います。
先日、日本一の桜守という方がテレビに出ていて、桜にとって冬の寒い時期がとても大切であることを語っていらしたのが印象的でした。
近年、桜の花のつきが全国的に悪くなっていると言われていますが、実はそれが冬らしい冬が温暖化の影響からか、昔の様ではなくなってきていることが影響しているそうなのです。
冬、葉を落としてじっと寒さに耐え、枝に養分を蓄えることでそれが春に花芽を付ける力になるのだそうで、冬が短かったり安定して寒い時期を過ごせないと、桜も花を咲かせる力が十分に蓄えられないのだということです。
これを聞いてなるほど~と思ったのですが、私たちも、人生の過酷さをわざわざ好む人はいないでしょうが、冬の時期にしか蓄えられない力があると思うのですよね。
その苦しみを思うと恐れも小さくはないでしょうが、人生の四季をそれぞれに、注意深く自身の糧とする力を日頃から養っておきたいものです。
中には「自分の人生にはずっと冬しかなかった。これからも春はやってきそうにない」と思う方もあるでしょう。けれどそんな方も、実は長い長い魂の旅路を思ったとき、勢い盛んな春や夏、実りの秋を十分に謳歌した人生が必ずあったはずだと思います。
今世では、冬を経験して何かしらの魂の栄養を蓄えようといとされているのかもしれません。
その冬をいかに過ごすか。最も苦しいときの過ごし方、在り方が問われているのです。体調も気力も充実した状態であれば難なくクリアできるようなことも、状態が厳しいときに取り組むと、数段難しい課題になるでしょう。
あなたがチャレンジして身に着けようとしているのは、簡単にできることとなのではなく、もっと難しい高度なチャレンジなのだと思います。だから、できないでいるご自身を、どうぞ責めないでください。
自分を責めるのに使うエネルギーを、その苦しみの中で踏みとどまり、前を向くエネルギーに変えましょう。
そう意図するだけのことですら、実際にやってみると、なかなか意思の軸が立たなかったり、流されてしまったりして容易でないことに気づくでしょう。あなたのやろうとしていることは、それほどのことなのです。
だから、たったこれだけの「できて当たり前」とも思っていたことが、どれだけ己を鍛えるのか、そしてそれができた自分がどれだけ周囲を助けるようになるのか、その尊さが分かるでしょうか。
それこそが「光の柱」なのです。だからこそ、みなさんは勇者なのです。
何度失敗しても、挫折してもいいのです。ただ、戻って来てください。どれだけ長く時間がかかろうと、道はあなたの苦闘の歴史をすべて受け止めて、あなたを待っています。
「惨めな自分」を恥じることなく、前を向いて歩きましょう。その時あなたは既に、「光の柱」となっています。
というわけで今週も、そんな勇者のためのテーマとなりました。
最も苦しい状況の中で、自身の在り方を問い選択する意識を持つよう最高最善に働きかける
参加される方は、「無料遠隔ヒーリングの受け方」ご覧になり、 ご理解のうえ4月12日(水)17:00までにメールまたはメールフォームにてお申し込み下さい。 同日20:00より順次働きかけを行っていきます。