今日は昨日の続きで、吉田松陰という方と、それにまつわる私の気づきを綴っていきます。
私はあまり幕末史は詳しくないですし、正直、吉田松陰という人のことも学校で習った歴史の中でそんな名前もあったかな、というほどの認識でした。
ところが20年近く前に、まったく思いもかけないご縁で松陰先生の生誕地・萩に旅行に行くことになりました。このとき、せっかく行くのだったら少し萩の歴史でも調べて置こうと何となくネットで色々調べていたところ、萩と言えばこの方を避けて通ることはできない土地柄、ある旅行者のブログにたどり着きました。
その方は、宿の女将さんに「松陰神社に行ってきます」と告げたところ、女将さんは「松陰先生のところにいかれるんですね」と言ってその方を送り出されたというくだりを読んで、今でもなお、松陰先生の魂がこの土地の人々の中に深く根付いていることを感じました。
普通だったらさらりと流すところなのですが、この女将さんの言葉になぜかものすごく反応して、自分でも良く分からないままに号泣していました。
あまりの反応の仕方に自分でもびっくりしたのですが、どうやら私の魂は松陰先生を知っているようだということは分かりました。
武士の過去世は何度もありますが、はっきりと幕末の頃の記憶が出てきたことはありません。けれど、「松陰先生!」と言って涙するということは、この方の魂が吉田松陰として生きた時代に、その薫陶を受けた一人だったのだろうと思いました。
そして実際に萩の松陰神社に行ったとき、境内にはかなりの観光客がいましたが、その中で神社の宮司さんがなぜか私たち3人のところに来て、「どこから来たの?これ、少ないけれど差し上げます」と言って神社のパンフレットを私たちだけに下さいました。
なぜ私たちだけに?と不思議に思いながらも、お心遣いに感謝して、さらに見学を続けました。
松陰神社には「明治維新胎動之地」と刻まれた大きな碑があるのですが、その前に立ったとき、周りに人がいなかったら私は多分、また号泣していただろうと思うくらい、胸がいっぱいになっていました。
そのときは、過去世の記憶から反応しているだけなのだろうと思っていましたが、実はこのことがもっと深い意味を持っていたことに、つい先日気づいたのでした。
友人との話の中で「人を光の柱とする」というキーワードが出てきたときに、これまでの人生でバラバラに示されていたパズルのピースがピッタリとはまっていったのです。
そうか。松陰先生は、この日本という国に門下生たちを通して光の杭を打ち込まれたのだ、とはっきりと理解できたのです。
その光の杭というのは、まさに先生の愛でした。それはとても一言では言い表すことはできないのですが、先生は、寝食を共にし、触れ合った数多くの人たちの魂の奥深くに、しっかりと揺るぎない愛の楔を打ち込まれていたのです。
あの明治維新という大業を為し遂げさせるほどのエネルギーがどれほどの愛なのか、想像できるでしょうか。
松陰先生はしばしば、その常人離れした過激な言動から「狂人」と評されますが、狂うほどの圧倒的な愛なのです。その愛に触れたら、狂わずにはいられないでしょう。
松下村塾を巣立った志士たちがその後辿った末期を思えば、その壮絶さが分かります。
彼らの魂には、深く先生の刻んだ愛のコードが生きています。だから彼らの軌跡を辿るとき、人は魂を震わせるのです。
現代日本において、このコードはなお生きて稼動しています。人の魂を柱として、深くこの日本という国を深いレベルから支えているのです。
歴史はそれを見る領域や視点から様々に評価されるものですが、ただのロマンではなく、今この瞬間に実際に生きている生々しいものであり、確かにそれは私たちに自覚の有無を問わず、影響を与えているのです。
そうした理解と同時に、また別の気付きもありました。
私は戦乱の世を武士として生きた人生の経験から、今でも何となく刀剣や茶道にわだかまりがあるのですが、特に茶道に関して、ある記憶が鮮明によみがえってきたことがありました。
その時私は友人たちとカフェでお茶をしていたのですが、話題がお茶や茶道などの話になった時、突然、私が茶室で3人ほどの男たちに茶をたてている場面が見えました。和やかな場ではなく、彼らとの今生の別れの儀式でした。
私の前に居る3人は、この茶を飲んだら彼ら自身の使命を全うするために、二度と帰らぬ死地へと向かうのでした。3人も、私も、深く覚悟を肚に、共に在る今この瞬間を味わっていました。
茶釜から湧きたつ松風が、ただこの空間を満たしています。
無言で茶を飲み干すと、別れの言葉を短く述べた後、彼らは影のように静かに去っていきました。
死地へ向かう者も、それをを送り出す側の心情も、なかなかに言葉では言い表すことのできないものがあります。
松陰先生は若干29歳で多くの門下生たちより早く、この革命の先陣を切って命を絶たれましたが、若い命を死地へ送り出すような場面をもし経験されたとしたら、どんなお気持ちになられただろうと思わずにはいられません。
私には迫害される教えの伝道師のような人生もあるのですが、どうもこの辺りが、私が感情解放のワークをみなさんにお伝えするときにしばしば浮上する躊躇に影響しているのは以前から気づいていました。
かつての時代のようにワークをしても死んでしまうことはありませんが、ワークをされる方が苦しいプロセスを通過するとき、側に居ればまだしも、物理的に離れているときは特に、このプロセスに耐えて通り抜けていかれるだろうかと心配する思いは今でもあります。
革命の中で、倒れていった無数の名もなき人々がいるように、魂のミッションの中で挫折したように思えるときもあるでしょう。それでもなお道は続いていて、再び立ち上がることもできるのだと知り、立ち上がろうとする人々の側に寄り添って在ることが、私の役割の一つかな、と改めて思いました。
私の中に生きる先生の愛の楔について、今後さらに意識していきたいと思います。