感情解放のワークをされている方からたまにご質問をいただくことがあるのですが、ご自身でワークをされた時、きちんと解放されているのかどうか、これでいいのか分からないと思う方も多いようです。
解放の目安として推奨しているのは、ワークが一段落した時に、ワークの入り口となった場面にもう一度戻ってみて、それをどう感じるか確かめてみるというのがあります。
たとえば、大嫌いな人に言われたひどい出来事にイライラしていることからワークをされたとします。色々展開があって解放が一段落したら、その大嫌いな人にひどいことを言われたその場面に戻って、自分がどんな風に感じるかを確かめるのです。
ワークがきちんと完了していれば、その人を見てももうイライラすることは無いでしょう。ワークの前ほどではないけれど、まだ何か残っているものを感じるのであれば、さらに掘り下げてみていくべきものが残っているということになります。
そして、基本的にワークは感情のカケラ君がして欲しいことをしてあげることでカケラ君が安心・納得し、統合されて行くものなので、カケラ君との対話が絶対に必要です。
自分の頭で「こうするのがいいのだろう」と勝手に考えてワークを進めてしまうと、カケラ君の方では「本当はそんなことをして欲しいんじゃないのに!もっと私の話を聞いてよ!」ともどかしい思いをすることになるでしょう。
自分自身に対してこういうことをしているということは、その在り方が外側にも反映されているはずです。
周りの人が私の気持ちを無視して勝手に良かれと思ってことを進めてしまって、とても悲しい思いをしているとか、あるいは、自分が誰かに対して良かれと思ってやったことが有難迷惑だと言われて傷ついたとか。
お心当たりはありませんか?
「当事者の話を聞く」ことは、対話の絶対条件です。世間一般に良いと言われることをするのではなく、今この瞬間、相手が本当に必要としていることを適切にしてあげるには、相手をよく見て、知らなければなりません。
ところが、私たちはしばしばこれをおろそかにしてしまいます。なぜでしょうか?
相手に向き合うのが恐かったり、どうせ分かってもらえない、通じない、どうやっても理解できないと思っていたりすると、相手に意識を向けることさえ気が重くなってしまいますね。
これが、私たちが相手に向き合うことを嫌厭する一つの理由でしょう。つまり、理解し合うということに対して、深い失望の痛みを抱えている、と言えるかもしれません。
こういうとき、ワークではまず自身の内に眠っている、その失望の痛みに対処するようにします。これまで、誰かと分かり合えなくて辛い思いをしたことがあったでしょうか?
パッと思い浮かぶ出来事があれば、そこからワークをしていきます。
両親に分かってもらえなかったのでしょうか。それとも、恋人と分かり合えなかったのでしょうか。先生に分かってもらえなくて、辛い思いをしたことがあったのでしょうか。
失望を感じたその場面に戻って、浮上した感情のエネルギーを身体で受け止め、ゆっくり呼吸していきます。そして、自分がその時どう感じていたのか、本当はどうしてほしかったのかを伝えるのです。
当時のみ込んだ言葉を吐き出すことは、それだけでも解放につながります。けれど、それだけでは解放しきれない時もあって、そのときはさらに相手の意識の中に移動して、相手の中で浮上している感情を受け止めていくということをやります。
ただ言いっ放し、やりっ放しではなくて、アクションを起こしたら、フィードバックをしっかり受け取るようにするのがポイントです。
伝わらない痛みをある程度受け止められると、感情のカケラ君をはじめ誰かと向き合ったときに、「どうせ言ってもつたわらないんだろうな」という端から諦めるような気持ちになることは少なくなっていきます。
誰かや何かと向き合うとき、私たちは多かれ少なかれ何かしらの気持ちを抱くものです。それが心地よいものであればもっと向き合いたいと思うのですが、そうでないことも多く、そうなるとつい、顔をそむけてしまうのですね。
けれど実はそむけたものの方向に、気づくべき大切なことがあるのです。
その方向に向き直って、じっくりと自身の中に湧き起こるものを観察してみましょう。ゆっくり、深く呼吸をしながら。
ちゃんと見ていないところをしっかりと見て、それとともに在ることをしてみてください。すると、自分の中で何かが変化していくのが分かるでしょう。
本当に深くこれができると、自身についての色々なことが見えてきます。
静かに、深く起こる大きな変化を、ぜひ感じてみてください。