もう何年も前になりますが、あるリーディングセッションで色々なメッセージをお伝えしていた時に、何をお伝えしてもなかなかその方の心に伝わらない感じがしていました。そしてセッションの最後に、その方から「私、人から言われたことを聞かないたちなんですよね」と言われました。
その時はさすがに、「メッセージが欲しくていらしているのだろうに、一体この方は何をしに来たのだろう?」と思ったものです。何とも腑に落ちない経験でしたが、最近、まさしくあの方は自分だったのだなぁと腑に落ちることがありました。
去年の秋からある勉強を始めているのですが、どうも先生との相性が合わないようで、最近は戸惑いの気持ちが大きくなっています。
もちろん、最初はその方の言葉に「この方なら大丈夫」と思って申し込んだのですが、私のして欲しいようなサポートの仕方をしない方針の先生だったようで、受ける側のスタンスの方向転換を迫られています。
先生に対する戸惑いや違和感、失望の気持ちなどをじっと感じて行くと、先生の言葉を受け入れることに対する強烈な抵抗と、先生への不信感が浮上してきました。かなりそのエネルギーが強かったので、こんなものを持っていたら、確かに先生の言葉は受け入れられないだろうと自分でも納得です。
感情に巻き込まれてしまうと、先生への批判の言葉やこんな勉強を始めてしまった後悔の思いなどがぐるぐると際限なく走ってしまうので、しっかりと感情の体感覚にフォーカスします。
先生はただのトリガー、きっかけであり、方針の違いはあれど、先生に問題があるわけではありません。この辺りを混同しないように注意深く意識します。
先生に対する不信感と失望を感じていたら、ふと、私はこのパターンを幾度も繰り返していることに思い至りました。人生最大の師と仰ぐレナードにしても、その教えの素晴らしさは疑うことは無いものの、どうしても彼に対する失望感が消えることがありません。
また、幼少期の習い事の先生や学校の先生もことごとく信頼できなかったので、結局あまり良い状態ではなく、先生のもとを離れています。
先生は一生懸命教えてくださったと思うのですが、今改めて振り返ってみれば、私の側が、とてもその教えを受け入れる状態に無かったのだと思います。
何かを学ぶとき、私の中でよく浮上するのが「できない」という思いと、それをサポートしてもらえない失望感、孤独感、絶望です。
実際、先生がどんなに教えても、私にはそれがどうやってもできませんでした。そして、あからさまにそれを批難したり、蔑んで切り捨てるような先生もいました。
レナードの教えを学んできた中でもこのパターンは再現されて、彼は実に強烈に私の中の絶望をトリガーしてくれました。
先生に私の状況を受け止めてもらえず、サポートもしてもらえないので、諦めて結局は自分で何とかするしかない、という方向に流れるわけなのですが、このことで私には先生への拭い難い恨みと不信感が育って行きました。
そんな気持ちがあるので、当然先生が何か言ってきても、「何言ってるのこの人、私がどれだけ困っていても、助けてくれないくせに、要求だけはしてくる」という風に受け取るようになってしまいます。
私がそんな状態なので、先生もますます私のことを疎ましく感じるという悪循環が、こうして進んでいきます。
それにしても、今回の先生は実にうまい具合に私の無意識に沈んでいた思いを浮上させてくれています。レナードの時はショックが強烈すぎて、絶望と悲しみが大部分でしたが、今回は微妙なニュアンスの感情も分かりやすく浮上しています。
人生は、本当に丁度いい感じに様々な出会いをセッティングしてくれるものですね。
まぁそういう分析はさておき、胸の奥でガッチリとへばりついてうんともすんとも言わない感情の封印を感じて行きました。すると、聞こえてくるのはひたすら「できないできないできない」と繰り返す言葉ばかりで、一体何ができないのか、さっぱりわかりませんでした。
できないでいるのは、ある意味「できないでいることを自分で選んでいる」わけなので、もしそれができるようになってしまったとしたら、どうなるだろうか?と問うてみました。そこで湧き上がってきたのが失望でした。できるようになったのに、失望とは一体どうしたことでしょう?
さらに掘り下げていくと、何かができるようになると、苦しみと悲しみの中でそれをし続けなければいけないという感覚がやってきました。どれだけ意識を凝らしてみても、ただただ辛さが感じられ、それが嫌だったのだという感覚がするだけで具体的なものはさっぱり見えてきませんでした。
ただ、できるようになるほどに、悲しみが増す何かしらの体験が、自分の中に在るのだということは分かりました。
これが解放できたら、今滞っている学びや師との関係など、あらゆる部分が大きく変化していきそうです。レナードのリトリートまであと1か月ほど。その前に、少しでも進めていければと思うので、ぼちぼちやっていくことにします。