日常のちょっとした願望について、ふとかすかに「失望」を抱いていることに気づいてしまいました。先のことなどまだ何も分からないのに、「どうせダメだよね」と先回りして期待しないようにしている自分がいました。
これに気づいたのは、前日の考察からその願望について「天・地・人」のポジション取りをしてみようと思って試していたときで、「天」を取り「地」を定めたときに「人」がとても居心地が悪くて決まらなかったのです。
胸から喉のあたりに固い異物のようなエネルギーががっちり固まっていて、「これじゃぁ叶わないよね」という状態でした。
それが何か確かめてみると、どうやら「失望」のエネルギーだったようで、これまでも繰り返し浮上してきたものの、苦しいので目を背け、うやむやにしてスルーして来たものが、今再び浮上したのです。
誰しもこうして、多かれ少なかれ居心地の悪い感情に背を向けている部分はあると思いますが、人様に「向き合うこと」のメッセージをお伝えさせていただいている手前、人一倍自身も向き合うことを実践していなければ、説得力がありませんよね。
というわけで、肚を決めて意識をフォーカスさせていきます。
過去に願望を抱いて、ひどく失望した時に味わった痛みの感情が当時は受け止め難く、残っていたのでしょう。それが何か願望を抱くたびにトリガーされて浮上し、まっさらな未来に「失望」の影を落として、その現実を実現し続けているわけです。
この幻影から抜け出すには、受け止めていない痛みの感情を迎えに行きます。
ワークでは、様々な過去の出来事のビジョンを見ることがありますが、基本的にそのエネルギーをしかと受け止められれば、必ずしもビジョンを見る必要はありません。
この時もビジョンは特に出てこなかったのですが、身体の中で最も受け止め難い失望のエネルギーを感じていました。しばらくするとそれは軽くなり、抜けていきましたが、まだ別のレイヤーで残っているような感覚がありました。
ワークをする時、ある程度エネルギーが抜けていったとしても、その後の感覚を確かめて残っているときは、必ずそれについても再度ワークをしてください。
体力や時間の関係でいったん区切るとしても、入り口となったテーマがどこまでクリアになったのか、残っているものはないのか、最初の場面に戻って確認することを忘れないでいましょう。
ここができていないと、ワークの詰めが甘くなってしまいます。
私のワークの場合も、さらに残っているエネルギーにフォーカスしていきましたが、「がっかり」の下から出てきたのは「口惜しさ」のエネルギーでした。
かなり強烈でしたがそれも受け止めていきました。そのときふと、叶わなかった願いに対して何かや誰かを恨み、憎んでいる気配が感じられました。それら恨み、憎しみのエネルギーを自分に引き戻して受け止めていきます。
というのは、恨みや憎しみのエネルギーは、自身の内に生じた痛みの感情を受け止められず、外側の何かに責任転嫁してそれに自身の痛みを投げつける行為だからです。それをしている限りは、癒しが訪れることはありません。
ですからそうした行為の一切をやめ、相手に投げた痛みのすべてを引き受けます。もともとそれは自分のものだったのですから、当然と言えば当然ですね。こうして自分自身の感情に責任を取るのです。
受け止めながら、まだどこかに飛ばしている憎しみや恨みがないか、エネルギーの感覚を探っていました。
そこで気づいたのが、そういえばこの感覚、母とのやり取りの中で良くトリガーされるな~ということでした。母のちょっとした言動がものすごく癇に障るときがあるのですが、振り返ってみれば、母は私のこの痛みをトリガーする名人のようです。アリガタヤ。(-人-)
親子なので些細なことでも遠慮なく噴き出してくる部分はあり、長年のパターン故に無意識に反応していることが多くありました。今後はもう少し注意深く拾っていこうと思います。
とにかくこのときは、受け止め難い痛みの感情をできる限り拾い、受け止めていくことをしていきましたが、胸から喉の当たりの感覚はかなりすっきりしました。
そしてワークの入り口であるある願望に対する「天・地・人」のポジションを再び取り直してみると、随分修正されていました。なかなかいい感じです。あともう少し微妙に調整が必要な気もしますが、これも同様に取り組んでいくことにします。
このように、ワークを繰り返して、自分の何がどの位どのように調整されたのかを確認しながら進めていくことで、自分がどこへ向かっているのか、次に何をすればいいのか道筋が見えてきます。
ある程度ワークに慣れたら、こうした視点も意識して見てください。