先日、ガネーシャ・ギリ先生のヨガのクラスに参加したとき、「天・地・人」の話が出ました。バランス系のアーサナの流れの中で出てきたと思うのですが、野村萬斎さんと羽生結弦選手との対談の話から成瀬先生の興味深いエピソードなども含めて、非常に興味深いテーマだな、と感じました。
「天・地・人」をどうするかを決めると、一般人の想像を超えた領域にまで至れるという例を具体的に聞くと、俄然探求心が湧いてきます。
前述の野村さんと羽生選手の対談は以前テレビで見たことがありましたが、何となく流していたので改めて動画で見直してみると、「天・地・人」の話の他に、野村さんが「その場と時間・空気をまとう」ということを言っていることに興味が惹かれました。
全く同じことを、美輪明宏さんも言っていたからです。「舞台をまとう」と。
一流の役者というのはすごいなぁと思ったのですが、意識の使い方が既に違うんですね。
そういえば、昭和の大スター・美空ひばりさんも、ステージに立っているときに客席の一番後ろに座っている人の気持ちが分かるというようなことを何かで語っていらした記憶があるのですが、ものすごい意識の広がりです。
実は私自身もセッションやワークショップ、瞑想会などでも似たようなことをしているのですが、「場」を作ることは非常に重要視しています。
これがうまくできるかできないかで、そこで起こることに大きな差が生まれるので、事前準備とともに、会やセッションが始まってから、自分の意識を広げてみなさんをつなげ、そこから命の源に支点を取るということをやっています。
単に意識を広げるだけではなく、そこに「軸」があった方が私はいいだろうと思うのでそうしているのですが、これは特に誰に教えられたというものでもなく、経験からいつのときからか自然にやるようになりました。
そのようにすると、そのフィールドに居る方が「ひとりぼっち」にならず、安定するんですね。
よくサロンにみえる方が「家で一人でやるとうまくできないけれど、サロンに来るとできるようになる」と言って下さるのは、多分「ひとりぼっちでない安定感・安心感」をどこかで感じてくださっているからだろうと思います。
ワークでは常に自身の意識のポジションを意識しながら進めますが、意識の使い方に慣れていない方はそれだけでも結構一杯一杯になってしまいます。だからこそ、ワークの前に「命の源につながる瞑想」をやっておくとベターです。なぜなら、この瞑想でやっているのはポジションの支点をとっていることだからです。
ここで冒頭の「天・地・人」の話に戻ってきますが、これもある種の「ポジション取り」だと思います。
ヨガのアーサナをするとき、ポーズの始まりから終わりまで、身体を動かしていく中で自然と宇宙から地に向けて、自分の身体を通ってエネルギーが流れるのを感じたことがあったので、そこから、そのポーズはきっとこういうことを表しているのだろうと解釈することがありました。
となると、そのエネルギーを受け止める自分の身体に軸があった方が、ふらふらせずにエネルギーは安定して流れるでしょう。その軸こそが、多分「天・地・人」ということなのではないかな、と考えました。
このときに、なぜ「天・地・人」は「天・地・人」の順なのかというのも結構カギかもしれません。なぜ「天・人・地」でもなくこの順なのでしょう。
実際に意識のポジション取りをしてみれば、この方が自然だとすぐに分かります。まず「天」を取り「地」を定め、そこから「人」の在り方を決めるのが、無理なく大きなエネルギーが流れても大丈夫な在り方を調整できるように思います。
これを日常の私たちの在り方にも当てはめて見ることはできます。
たとえば、何か行動を起こそうとするとき、まず「天」に意識を定めます。これは自身の命の源でもいいでしょう。そこからの流れをこの身体で体現することを意図するわけですね。
次に「地」を見ます。つまり、目の前の現状を見るわけです。「天の意図の流れをもって現状を見て受けとめる」のです。その上で、「人」の在り方を決めます。こうすると、自身の在り方を決めるときにエゴが入りにくくなると思います。
どういうことかというと、「天」の意図を汲まずに「地」を見て「人」の在り方を決めてしまうと、「天」の支えがないので、迷いや恐れが生じやすく、結果、行動が迷走しやすいのです。
そうなると、この不安を埋めるために頭の思考であれこれと理屈をこね回し、「地」に明らかに示されているサインにも気づかずスルーしてしまうということが起こりやすくなります。こうなるとエゴは必死で「正しい道」を探して半狂乱になりますが、その状態では求めているものにはたどり着かないでしょう。
エゴには、そもそも「天」の代わりになるような機能はありません。これはエゴが悪いのではなく、私たち自身がポジション取りの順番に失敗しているからです。
「天」を先に取ると、「人」は心を静めてその意図を自身の言動に表現していくことが自然にできるようになります。本来の仕事ではないことを強要されることもないので、エゴも安らかです。
思考で一杯になってどうすればいいか分からなくなっているとき、最初からうまくできなくてもいいので、まず心を静めて「天」に意識を取る、ということをぜひやってみてください。