ここのところ、全く別のところから同じキーワードのメッセージがいくつも来ていて、私自身が今いるところとこれから向かおうとしているところを再確認しなさいと促されているような出来事がありました。そのキーワードを踏まえて瞑想をしたとき、多少気付きがあったので、今日は私自身の覚書きの意味を含めて書いておきます。
最初の出来事は数日前、セッションが終わった後にシェル(貝)の上でホワイトセージを焚いて、サロンを浄化していたときのこと。うっかりシェルの底を触ってしまって指をやけどしてしまいました。
炎を消して煙を出しているだけでも、結構底が熱くなっているのは知っていますし、長年やっていて今まで一度もそんな経験をしたことなんてなかったのですが、しまった!と思ったときにはすでに遅く、しばらく流水で冷やしていても痛みが残りました。
その後、保冷剤を当てながら過ごしたら、翌日には痛みも引いて大事に至らなかったのでよかった!とほっとしました。けれど、その部分にけがをするということ自体、サインでもあるので、早速リズ・ブルボーさんの「自分を愛して!」(ハート出版刊)でその部位の意味を調べてみました。
すると、「細部ばかりを気にして全体を見ていない」というメッセージでした。
確かにここのところ忙しくて、目先のことばかりに目が行っていたかも、と反省し、注意しながら過ごして見ることにしました。
その翌日、サロンでも使っているオーラソーマのクイントエッセンスがそろそろなくなりそうだったので新しいものを購入しようと思っていました。
数種類あるクイントエッセンスの中で、今は「浄化」の「セ゚ラピスベイ」と、「スピリットの目覚め、自覚と責任」の意味を持つ「キリスト」を使っています。
次はキリストではなく、「無条件の愛」の「レディナダ」とか「過去からの解放、慈悲」の「ラオツー&クァンイン」なんかが良いかな、と考えていたのですが、どうもしっくりこなくてその日は買いませんでした。
その夜、日課の瞑想をしているとき、「エルモリア エルモリア エルモリア」と繰り返し呼ぶ声が聞こえたので何だろう?と思ったら、そう言えば、エルモリアというエッセンスがあったことを思い出しました。
「エルモリア」のテーマは、色々と解説しているサイトはありますが、その中に「独りではなく全てはひとつ」「全体の中の自分」というような解説がありました。
ここでも「全体性」というキーワードが出てきたので、さすがに「おや?」と思うところはありました。
実際のところ、このボトルにはまったく選択肢には入っておらず、なぜこれなのかが良く分からなかったくらい、ピンと来ていませんでしたが、一晩明けて翌日、結局エルモリアとセ゚ラピスベイを注文することにしました。
そして3回目のメッセージはその日の午後、たまに連絡を取っている大学時代の友人から電話があり、色々と話している中でいつものようにメッセージが降りてきました。
いくつか伝えたメッセージの中で、最後のものはこれまでよりもかなり抽象的で、言葉にするのが難しかったのですが、見えたもの、示されたものをどうにかして言葉にして伝えました。
けれどそれは、実践するにはかなり高度なことのように思えましたが、そのようなメッセージが降りてきたからにはきっとできるのだろうと思って、その電話は終わりました。
しばらくして、先に来ていた2つのメッセージと合わせてこのタイミングできた電話とメッセージを振り返った時に、ハタと気づくものがあったのです。
あれは、友人に対するものであると同時に、私自身にも向けられたメッセージであったと。
それは、ものごとの全体性を見て、さらに深くその本質を見るようにしなさいというようなものだったのですが、今私が見ているところよりも、メッセージが伝えてきたのははるかに深く深遠な、もっと違うレベルを指していました。
3度、「全体性」のキーワードが来ていたのです。
その夜、メッセージが伝えてきた「全体性」のキーワードを、あのビジョンを辿って深く瞑想してみました。
「全体」とは何を見ればいいのか?と問うたときに、意識は地球を超えて太陽、そしてこの太陽を門としてやって来るエネルギーの源を見せられていました。
真っ直ぐに、その大いなるエネルギーの源に向き合うポジションに意識を置くと、莫大なエネルギーが身体を貫くような感覚がありました。
この方向に、しっかりと意識を向けて置くこと。これを踏まえた上で、あらゆる現実の中に流れている「意図」に深く心を澄ますこと。これまでよりも、もっと深いレベルを読むように、訓練していくこと。
そこを読めるようになると、目先のものごとの「動き」にとらわれず、惑わされなくなる。どうやらそういうことのようです。
それができるようになるには、自身の内なる沈黙を深めていく必要がありました。まだまだ静寂に根付けているわけではないので、地道に訓練していくことにします。
4月のレナードのリトリートでは、また彼のプレゼンスに触れて感じることが違ってくるだろうか、とこの流れが楽しみでもあります。