先日から取り組んでいる絶望ですが、少しずつ掘り下がって行って、完全に解放にまで対っていないものの、それだけでも既に様々な私の現実の流れに変化が表れています。改めて、気づきの力の大きさを思います。今日はその後の進捗を整理して書いておき対と思います。
前回のワークでは、自分の中に、顔色一つ変えずに自身の首を絞めている自分のビジョンが見えたのですが、そこには計り知れない深い絶望と悲しみがありました。
その後、その自分の絶望に繰り返しアプローチして、少しずつエネルギーを解放していました。けれど、首を絞める手の力は少し弱くなったものの、未だ自分を殺す手は止んでいませんでした。
ここは基本に返って、「もしそれを止めたとしたら、どんな気持ちになるか」という問いで、さらにダイレクトに絶望の感情を浮上させてみました。
このように問うのは、自分を殺すことで収めている感情のエネルギーがあるわけで、それを止めたとしたら、その感情が浮上してくるからです。
ちなみに、自傷行為というのは、あまりにも受け止め難い気持ちをどうにかして収めるための、防御機構なのです。それを止めるには、それで紛らわせている気持ちをどうにかして受容し、統合していくプロセスが必要です。
私の今回のテーマでは、表には出ず、内面的なものではありましたが、構造としては自傷行為の一種なので、その行為の奥にある気持ちに対処していくことになります。
問いかけていくと、胸から腹、第一チャクラにかけて、身体が引き裂かれるかと思うような体感覚とともに、悲しみが浮上してきました。まさに、「身体が引き裂かれるような悲しみ」とはこのことですね。
これほどのエネルギーが浮上していても、ストーリーは全く見えてこなかったので、なぜそんなにも悲しんでいるのかはわかりませんでしたが、ただただその体感覚を受け止め、生きることに集中しました。
しばらくの間、時々刻々と身体の中で変化していくエネルギーを追っていましたが、受け止めていくほどに身体全体にあった重苦しさが少しずつ晴れていくようでした。
取り組む前は気が重いものですが、一時、しっかりと対処してしまえば、あとはずっと軽いのです。少しずつでも、気持ちのカケラたちを迎えに行けるといいですね。
自身のこのテーマについて振り返ってみると、これまでの人生においてもかなり抑圧の強い方でしたが、過去世でも忍だった時代なんかもあったりして、まさに心に刃を当てながら生きた時代がありました。
自身の望みを失った者は、そのようにしてしか、生きていけなかったのかもしれません。
忍になったから望みを失ったのか、望みを失ったから忍になったのかは分かりませんが、どれだけ頑張っても報われない思いというのも、ここにつながっているような気がします。
忍というのは裏の存在で、決して表に出てはいけない、「存在しない者」でもあるわけですから、まさに自分の気持ちを無いことにしていたその姿を映した人生ですね。
いずれにせよ絶望は私の魂にとって、いくつもの人生をまたいで持ち越しているテーマの様です。
自分を殺しながら生きていても、「自分が自身にしているように、他者からもされる」という鏡の法則からして、決して幸せになることはできません。まず自分を殺すその手を止めて、自身を慈しむように方向転換する必要があります。
深い痛みを受け止めながら、自身に寄り添い続けられるかがポイントになってきます。
ワークをしていても、気が付くと意識が飛んでいることが何度があって、その度に戻って続け、休んで、ということの繰り返しでした。
続けていくと、ハートの奥の濁ったバイブレーションがす~っとクリアになっていく感覚がありました。
抜けていくときに、かすかなに過去世のストーリーが見えたのですが、非情な任務を果たすため、相手を殺すたびに、自分自身も殺していたのだな、と分かりました。
自分を殺し続けてきたので、相手を殺す人生に引き寄せられてしまったのかもしれません。
私たちには無数の過去世の人生の記憶が眠っています。それぞれの人生のストーリーに、相応の思いが伴っていますが、不思議とそれらが相互につながっていて、俯瞰するとあるテーマが浮かび上がってくることがあります。
通常、ワークをする時はここまでストーリーを積極的に追っていくことはしないのですが、もしワークを続けていく中で、いくつかの人生のビジョンが内側から差し出されたら、気づくこともあるでしょう。
ただ、ストーリーはしばしば興味深く、魅惑的なものです。それに深く足を踏み入れて、今この瞬間の自分を見失わないよう、常にこの瞬間の自分から離れずにいましょう。そして、いかなるストーリーが出てきても、深刻に受け止めすぎないことです。
さて、ワークをここまでしてきて、今ビジョンの中の自分はどうにか自分を殺す手を止めたようです。肩に手を置いて、自分をじっと見つめています。
もういないことにするのは終わりにしよう。私はここに居る。
さらに対話を続けていくことにします。