これまで私は様々なヒーリングを学んできたのですが、ごく初期に学んだヒーリングの一つに、思考ブロックを解除する系のヒーリングがあります。
当時私は、そのヒーリングをベースに当時交流のあったヒーラー仲間たちと色々なヒーリングエネルギーと手法を探求していました。その内に私はレナードの教えを軸にした方向に進んでいったので、今では全くそうした系統のヒーリングをすることは無くなりました。
その手法から離れたのは、どんなにブロックを解除したとしても、根本的に何か取り零しているものがあるという違和感をぬぐえなかったからです。当時もかなり強力な魂の深いレベルまで届くようなエネルギーを使っていたのですが、それでも私自身、どうやっても楽になって行かないものがあったのです。
それが何なのか、私なりに思うところを書いてみます。ただこれは、そうしたヒーリング自体を否定する意図はありません。確かにそれで楽になっていく方もあるのは事実なので、使い方をうまくすれば有効な方法なのかもしれません。
以下を読まれる方は、このことを踏まえた上でご自身はどう感じられるか、各自で判断していただければと思います。
ブロック解除系のヒーリングで根本的に欠けているのが、「ブロックと認識しているのは誰か?」という視点だろうと思います。つまり、それは「誰にとって」都合の悪い障害なのか?ということなのですが、これを単に「え?誰って、『私』でしょ?」と思うとしたら、それはちょっと違うのです。
ブロック解除系のヒーリングをしている、受ける方は、全員がそうとは言いませんが、「ブロック」を手放すべき不必要な障害の様に捉えている方が多いような気がします。これがあるから思うように行かないんだと考えて、これさえ解除すれば自分の現実は変わる。変わらないのだとしたら、まだ解除し足りないものがあるのだ、と考えるのです。
私自身、散々こうしたことをやってきたので良く分かるのですが、こうして「クリアリング」のドツボにはまっていくのです。けれど、自分の中に「ブロック」を見ている限り、私たちは本当に癒えていくことは無いだろうと、今では分かります。
なぜなら、それは今現在の私にとって必要だから存在しているわけです。自分はなぜ今この瞬間もそれを必要としているのか。その理由に本当に「寄り添う」姿勢が無い限り、それが差し出しているメッセージに応答したとは言えませんし、根本的にエゴが自ら屈服するようなマスターに私たちが変容していくことはありません。
寄り添うためには、今一番逃げ出したいもの、嫌いで見たくないものとしっかりと直面し、対話しなければなりません。そうしたプロセスの中で、健全な自己愛や受容、穏やかさが養われ、癒しが起こっていきます。
この「エゴのマスターになる」というマスター性の確立こそが、出来事の差し出している学びなのであり、癒しや苦しみ、願望実現はその学びに導くためのきっかけにすぎません。
私たちは通常、エゴを自分だと思っています。けれど、エゴと「私」は別のものです。「私」の代わりに王座に座っているエゴによって、これまでの私たちの人生は導かれてきましたが、それは本来の私たちの在り方ではないのです。
この辺り、レナードの著作を読んでいただければ、エゴとは何なのか、本来の在り方とはどういうものなのか、ご理解いただけると思います。
エゴは本質的に私たちの守り人です。私たちが辛い思いをしないように、何とかして苦痛回避をしようと感情を抑圧したりあらゆることをして願望を実現させたりして、幸せになるようにと奮闘しています。
けれど、エゴの考える「この願いが実現すれば、私の苦しみは喜びに変わるはずだ」というシナリオは、実は必ずしも正しいとは言えません。
たとえば、お金をたくさん稼げば幸せになるはずだとか、もっと有能で美しく、愛嬌があれば大事にしてもらえるはずだ、だからお金をたくさん稼ごう、可愛く、有能になろうなどと頑張ります。
感情解放のワークに取り組んでいらっしゃる方はよくご存じかと思いますが、いくら外的な条件を達成したとしても、出来事によって差し出されているメッセージに応答していないのであれば、また同じところに戻って来るでしょう。
ブロック解除のプロセスでも、こうした気持ちのカケラをヒーリングすることはあるでしょうが、根本的にそれに対する姿勢の違いを感じます。(もちろん、中には、そうではないプラクティショナーさんもいらっしゃると思うので必ずしも全部そうだとは言いません)
傷ついた気持ちのカケラたちは、「手放すべき要らないもの」ではなく、それは気づき、認め、抱きしめ、受容することによって、私たち本来の力になってくれるものです。
だから、「こんなものを持っている限り、私は幸せになれない!早く私の中から無くなって!」という捉え方をしている限り、自身の真のパワーを取り戻すことはできないだろうと、私は思います。
ブロックを解除して願望を実現させていって、私たちはどこへ向かおうとしているのでしょうか。その願望がエゴの恐れから来ているものである限り、悪夢から覚めることは無いでしょう。
ブロック解除系のヒーリングに欠けているのは、この部分に対するビジョン、答えだと私は感じるのです。
真の癒しは、私たちの霊性に触れることを避けて語ることはできません。そしてそれを概念として語るのではなく、実際に触れ、自身で体験していく中で起こって行くものです。
ヒーリングの手法はあくまでツールにすぎませんから、ツールに使われるのではなく、それを使いこなすマスター性の確立という軸を押さえた上で、用いることが大切だろうと思います。
セッションを受ける方にも、ヒーリングをされる側の方にも、参考になればと思います。