昨日は感情解放ワークショップでした。初めての方、お久しぶりの方、常連の方入り混じっての回でしたが、それぞれに深い気づきと解放があったことと思います。今まで決して触れられなかった心の奥底の傷に、真摯に向き合われたみなさんの、その勇気に心から賞賛を贈りたいと思います。
このブログでも繰り返し指摘しているところではあるのですが、感情を抑圧していると、だんだんと生きる気力が失せて来て、やりたいことも分からなくなりますし、生きていること自体が辛くなってきます。
なぜそうなるのかと言うと、私は感情というものを命の呼吸だと思っているのですが、感情を止めるということは、命の呼吸を止めるに等しいことだからです。
肉体の呼吸でも、息を止めれば苦しくなりますし、酸素も送られず、二酸化炭素も排出できないので生命活動自体が危うくなりますね。感情を止めるということはそれに等しい危険な行為なのです。
にもかかわらず、私たちは非常によく感情を抑圧するということをします。辛すぎる現実を生き抜いていくためには、その時はそれしか方法がなかったからではあるのですが、実に安易な対処法であり、その代償も決して安くはありません。
面倒な感情は感じないでなかったことにして忘れれば、それで終わると思っている方がとても多いのですが、決してそれで済むようなものではないのです。
このあたり、私たちは感情の対処法やその性質について、本当は人生の早い段階で学ぶ機会が与えられるべきだろうと、苦しみ抜いてボロボロになった方を見るたびにいつも思います。
私自身も、もし今みなさんにお伝えしているようなことを少なくとも小学生の頃に学んでいたなら、もっとのびのびと感情を恐れることなく生きられただろうし、難しい思春期の頃をもう少し安定した状態で過ごせたでしょう。そして恋愛も就職も、全く違ったものになっただろうに、と思わずにはいられません。
まぁ、起こることは常に完璧なタイミングと方法で起こるのでしょう。自分が苦しいところを通り抜けてきたからこそ、分かったこともあり、今の自分があるのだからこれも良し、ですね。
自身の奥底に封印したものがいかに苦しいものであったとしても、いつかはそれに向き合わなければならない時が来ます。そんなものを抱え込んだまま、私たちは成長できませんし、幸せになっていくこともできないからです。
実際のところ、それは「やるかやらないか」ではなく、「いつやるのか」なのですね。先延ばしにしているほどに状況はきつくなっていきますが、そうならないと重い腰が上がらないというのも私たちの常です。
起こっている困難に見える状況というのは、私たちの重い腰を上げさせるのに絶妙な加減の出来事です。もし今よりもその状況が軽かったなら、あなたはぐっと我慢して今までのやり方を続けていたでしょうし、それ以上深刻なものでも、あなたは動けなくなっていたでしょう。
つまり、その出来事はあなたが耐えられなくなって動かざるを得ないくらいの、「ちょうど良い深刻さ」をもってお尻を叩いてくれたわけです。
だから、起こっている出来事は、只中で飲み込まれているときは苦し過ぎて地獄のように感じるかもしれませんが、様々なものを抱え込んで身動きが取れなくなっているあなた自身を根本から変容させ、新生させるチャンスでもあるのです。
どうぞこのチャンスを余すところなく活かしてみてください。その出来事は、ただあなたを打ちのめすためにやって来ているわけではなく、輝くあなたに再生させるために起こっているのですから。
どんなことにも当てはまりますが、腰を上げるとき、ものごとを始めるときが一番勇気とエネルギーが要るものです。後になるほど楽になっていきますから、ずっとその大変さが続くわけではありません。
始めたなら、軌道に乗るまではある程度集中して取り組んだ方がいいでしょう。しっかりと自分に基礎を叩き込んで、正しく歩めるよう基盤を作ります。こうして作り上げられた土台は、これ以降のあなたを確かに支えるベースとなり、揺るぎなくあなたの成長を可能にしてくれるでしょう。
けれどこのプロセスは一見非常に地味で、思うようなスピードで先に進めないように見えるものです。だから焦って、途中でもっと手軽な方法はないかと目移りしてしまうかもしれません。
そこをぐっとこらえてこのプロセスを通り抜けていったとき、他の手軽な方法では到底及ばないような、得難い宝を手にしている自分に気づくでしょう。それは、唯一無二のあなたオリジナルの武器になります。
私たちは一人ひとり異なる背景の個性を持って生きる存在です。これ故に、誰にでも自分だけのオリジナルの武器があるのです。それは、誰かにポンと与えられて得るようなものではなく、自身との深い対話を繰り返していく中で現れ、磨かれて行くものです。
あたなの深奥で、自身に使われることを待っている武器を、どうぞ手に取ってみてください。