感情解放ワークをやっていくと、しばしば過去世の記憶が感覚の中から現れてくることがあります。人によって、詳細な場面が感情とともに見えてきますが、ワークでは、過去世を読み込んでいくのはあくまで抑圧された感情を解放するためのプロセスなので、必ず身体から離れないようにして感情とともに見ていくということをします。
過去世というと、興味を持つ方は多いと思います。リーディングセッションなどでも、気になる方との過去世での関係性について質問されることはよくあります。
そんなときに私がいつも感じるのは、過去世について興味を持つこと自体は悪くはないけれど、まずは今目の前の出来事をしっかり受け止めることが先決であるということです。
その上で、もし本当に必要であるなら、それは自ずと明かされるでしょう。
「目の前の出来事を受け止める」というのは、落ち着かない気持ちを頭で整理納得することではありません。心と身体と魂で感情のエネルギーを受け止めるということです。
この段階が無く過去世のストーリーを頭に入れてしまうと、そのストーリー自体に引っ張られ、マインドの中に飲み込まれて自分自身を見失います。
何でもかんでも過去世と結びつけて考えるのに、私が賛成しかねるのはこれ故です。
けれどその一方で、過去世での体験による未完了の感情のエネルギーが、今を生きる自分を生き辛くしているケースがあるのは事実です。
過去世のストーリーはある種、魅惑的でもありますから、それに引きずられずに今この瞬間に深く根付いていけるように付き合っていくことは、感情解放ワークに限らず、様々なスピリチュアルなものを学んでいくときに、ぜひ心に置いておかれると良いと思います。
今この瞬間に起こっていることを深く受け止めていくにつれて、あなたが知りたかったことはすべて明らかになっていきます。けれど多くの場合、それは私たちが最も避けたいことなのです。その逃げ道として過去世を使って、頭で納得して思考で収めるということをしていることが多いのが、現実です。
過去世を知りたいと思ったとき、それ自体をテーマにして感情解放ワークをすることもできます。それはこんな感じです。
「もし過去世を知ることができなかったとしたら、どんな気持ちになるだろうか?」と問うてみるのです。多分、ものすごく落ち着かない気持ちが浮上して来るでしょう。それこそが、「過去世を知る」ことによって収めようとしている感情のエネルギーなのです。
ワークの視点で言えば、こういう状態で必要なのは過去世を知ることではなくて、その感情を受け止めることです。この感情を放置したままどれだけ過去世を知ったとしても、その知りたい衝動はどこまでも収まることなく続いていくでしょう。
そして、それを駆り立てる落ち着かない感情はますます大きくなる一方で、気持ちがすっきりと晴れることは無いのです。
本当に必要なことは、最高最善のタイミング、方法で自身の内側から現れてきます。そのようにして知った過去世は、誰かに伝えられたものよりも、はるかに意義深く重要なメッセージとして受け取られます。
情報はただ知ればいいというものではなく、それをどのように知るか、そして自身が受け止めるかということの方が、実は重要なのだろうと思います。
あなたは、その情報を本当に受け取る準備ができているでしょうか。それを知ったとして、知った後にどうしたいのでしょうか。知ったが故に、さらに苦しむことになる可能性も、無いわけではないのです。
今の人生でも色々あったように、過去世でも、それ相応に色々あったはずです。
もちろん、知ることで楽になることはあります。ただそれは、自分自身を知る旅の入り口でしょう。どうぞそれをきっかけとして、深く深く自分に向き合ってみてください。
過去世と呼ばれるものは、一つだけではありません。多くの人が、数百を超える過去世を持っていると言われます。一つの過去世での経験が、次の人生と連動していたり、いくつもの過去世を見る中で、魂の壮大な意図に触れることもあります。
ある人生では奴隷でも、別の人生では貴族や支配者階級だったり、貞淑な妻、横暴な夫、盗人、詐欺師、誰からも愛され尊敬された長老、蔑まれた嫌われ者、不治の病を患い見捨てられた人、生まれながらに障害を持った人生などなど、私たちは人間のあらゆる側面の極を体験しています。
一つの人生だけ見て、自分を決めつけるのは大きな誤りです。
無数の人生の中で体験したあらゆる思いが、私たちの魂には記憶されています。その中から、今世学ぼうと思ったテーマに従ってプログラムされた内容から、必要な要素を私たちは持ってこの人生にやって来ているのです。
だから、目の前の人がいかにも能力が劣っていたり、卑しかったり醜いように見えても、別の人生ではとても高貴で美しい人だった可能性もあるわけです。
そんな風に考えてみたら、今在る人生で体験するものを、もっとしっかり受け止めて生きてみようと思えるのではないでしょうか。